葉隠 / 聞書第十一
必死の觀念、一日仕切りなるべし。每朝身心をしづめ、弓、鐵砲、槍、太刀先にて、すたすたになり、大浪に打取られ、大火の中に飛入り、雷電に打ちひしがれ、大地震にてゆりこまれ、數千丈のほきに飛込み、病死頓死等死期の心を觀念し、朝毎に懈怠なく、死して置くべし。古老曰く、「軒を出づれば死人の中、門を出づれば敵を見る。」となり。用心の事にはあらず、前方に死を覺悟し置く事なりと。
新字:必死の観念、一日仕切りなるべし。毎朝身心をしづめ、弓、鉄砲、槍、太刀先にて、すたすたになり、大浪に打取られ、大火の中に飛入り、雷電に打ちひしがれ、大地震にてゆりこまれ、数千丈のほきに飛込み、病死頓死等死期の心を観念し、朝毎に懈怠なく、死して置くべし。古老曰く、「軒を出づれば死人の中、門を出づれば敵を見る。」となり。用心の事にはあらず、前方に死を覺悟し置く事なりと。
書き下し
必死の観念、一日仕切(ひとひじき)りなるべし。毎朝身心(しんしん)をしづめ、弓、鉄砲、槍、太刀先(たちさき)にて、すたすたになり、大浪(おおなみ)に打取られ、大火の中に飛入(とびい)り、雷電(らいでん)に打ちひしがれ、大地震にてゆりこまれ、数千丈(すうせんじょう)のほき(崖)に飛込み、病死頓死(とんし)等死期(しご)の心を観念し、朝毎(あさごと)に懈怠(けたい)なく、死して置くべし。古老曰く、「軒を出づれば死人の中、門を出づれば敵を見る。」となり。用心の事にはあらず、前方(まえかた)に死を覚悟し置く事なりと。
現代語訳
必死の覚悟は、一日ごとに区切って新たにすべきものだ。毎朝、身も心も静めて、弓・鉄砲・槍・太刀の切先にかかってずたずたにされ、大波にさらわれ、大火の中に飛び込み、雷に打ちひしがれ、大地震に揺り込まれ、数千丈の崖に飛び込み、病死や頓死など、あらゆる死に際のさまを心に思い描き、毎朝怠らずに、あらかじめ死んでおくのがよい。古老は言う、「軒を出れば死人の中にあり、門を出れば敵を見る」と。これは用心せよという意味ではなく、前もって死を覚悟しておけということである。
解説
この章句が説くこと
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葉隠・聞書第一途中にて俄雨にあひて、濡れじとて道を急ぎ走り、軒下などを通りても、濡る〳〵事は替らざるなり。初より思ひはまりて濡る〳〵時、心に苦しみなく濡る〳〵事は同じ。これ萬づにわたる心得なり。
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葉隠・聞書第一何某申し候は、「しほがれ浪人などと云ふは難儀千萬此の上なき樣に皆人思うて、其の期には殊の外しほがれ草臥る〳〵事なり。浪人して後は左程にはなきものなり。今一度浪人仕度し。」と云ふ。尤もの事なり。死の道も、平生に死習うては、心安く死ぬべき事なり。奉公人の打留は浪人切腹に極りたると、兼ねて覺悟すべきなり。災難は前方了簡したる程には無きものなるを、先を量つて苦しむは愚かなる事なり。
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論語 公冶長篇子曰:『士而懷居、不足以為士矣。』
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論語 憲問篇子曰:士而懷居,不足以為士矣。
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葉隠・聞書第一打返しは踏懸けて切殺さるゝ迄、赤穗義士の敵討は延びゝ。打返しの仕樣は、踏懸けて切殺さるゝ迄なり。これにて恥にならぬなり。仕果すべしと思ふ故、間に合はず。向は大勢などと云ひて時を移し、しまり止めになる相談に極まるなり。相手何千人もあれ、片端より撫切と思ひ定めて、立向ふ迄にて成就なり。多分仕濟ますものなり。又淺野殿浪人夜討も、泉岳寺にて腹切らぬが落度なり。又主を討たせて、敵を討つ事延びゝなり。若し、その内に吉良殿病死の時は殘念千萬なり。上方衆は智慧かしこき故、褒めらるゝ仕樣は上手なれども、長崎喧嘩の樣に無分別にする事はならぬなり。又曾我殿夜討も殊の外の延引。幕の紋見物の時、祐成圖をはづしたり。不運の事なり。五郎申樣見事なり。總じて斯樣の批判はせぬものなれども、これも武道の吟味なれば申すなり。前方に吟味して置かねば、行當りて分別出來合はぬ故、大かた恥になり候。話を聞覺え、物の本を見るも、かねての覺悟のためなり。就中、武道は今日の事も知らずと思ひて、日々夜々に簡條を立てゝ吟味すべき事なり。時の行掛りにて勝負はあるべし。恥をかゝぬ仕樣は別なり。死ぬ迄なり。これには智慧も業も入らぬなり。死ぬ迄といふは勝負を考へず、無二無三に死狂ひするばかりなり。これにて夢覺むるなり。
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葉隠・聞書第一古人の覺悟は深き事なり。十三以上六十以下出陣と云ふ事あり。それ故に、古老は年をかくすといへり。