葉隠 / 聞書第十一
千布因幡殿、元朝に相果てられ候。隣に中野神右衛門住ひ居り候が、因幡殿死去の事承り、「大勢出入にて朝の支度出來兼ね申すべく候。この節にて候間、此方の節の膳、一通り隣へ遣はし候様に。」と申付け候へども、家来ども不吉の由にて、迷惑がり申し候。神右衛門以ての外叱り、「士は難儀の時見次ぐが義理なり。此方の節は遅く候ても苦しからず候。」と、今出來立ち居り候料理、残らず遣はし申され候由。
新字:千布因幡殿、元朝に相果てられ候。隣に中野神右衛門住ひ居り候が、因幡殿死去の事承り、「大勢出入にて朝の支度出来兼ね申すべく候。この節にて候間、此方の節の膳、一通り隣へ遣はし候様に。」と申付け候へども、家来ども不吉の由にて、迷惑がり申し候。神右衛門以ての外叱り、「士は難儀の時見次ぐが義理なり。此方の節は遅く候ても苦しからず候。」と、今出来立ち居り候料理、残らず遣はし申され候由。
書き下し
千布因幡(ちふいなば)殿、元朝(がんちょう)に相果てられ候。隣に中野神右衛門住ひ居り候が、因幡殿死去の事承り、「大勢出入にて朝の支度出來兼ね申すべく候。この節(せち)にて候間、此方(こなた)の節の膳、一通り隣へ遣(つか)はし候様に。」と申付け候へども、家来ども不吉の由にて、迷惑がり申し候。神右衛門以ての外叱り、「士は難儀の時見次(みつ)ぐが義理なり。此方の節は遅く候ても苦しからず候。」と、今出來立ち居り候料理、残らず遣はし申され候由。
現代語訳
千布因幡殿が元日の朝に亡くなられた。隣に住んでいた中野神右衛門は、因幡殿の死去を聞き、「大勢が出入りして朝の支度もできかねるだろう。ちょうど正月の節句だから、こちらの節句の膳を一通り隣へ届けるように」と言いつけた。ところが家来たちは、元日に死者の家へ膳を出すのは不吉だと言って嫌がった。神右衛門は激しく叱り、「武士は困難のときに助け合うのが道理である。こちらの節句は遅れても構わない」と言って、ちょうど出来上がったばかりの料理を残らず隣へ届けさせたという。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
老子 第7章天長く地久なり。天地の以て長且つ久しう能くする者は、以て其の自ら生ぜざるを以てなり。是を以て聖人は其の身を後(のち)にして身先(せん)し、其の身を外にして身存す。非ざるか其の無私なるや。故に能く其の私を成す。
-
説苑・雜言孔子曰く、「夫れ富みて能く人を富ます者は、貧しからんと欲すとも得可からざるなり。貴くして能く人を貴くする者は、賤しからんと欲すとも得可からざるなり。達して能く人を達せしむる者は、窮せんと欲すとも得可からざるなり」と。
-
葉隠・聞書第十一臨山法語(りんざんほうご)。少年より一つの疑(うたがい)起りて候ひし。抑〻(そもそも)此の身を成敗して、誰と問はば我と答ふる物は是(これ)何物ぞと、一念疑ひ初(はじめ)よりして、年の重なる儘(まま)に、疑深くなるによりて、出家せんと思立ち候ひし時、一つの大願力(だいがんりき)起りて候ひし。迚(とて)も出家するとならば、獨(ひと)り一身の爲に道を求めじ、諸佛の大法を悟りて、一切衆生を度(ど)し盡くして後に正覺(しょうがく)を成ずべし。又若し此の疑を明(あき)めざらん中に、佛法を學せじ。又僧家の禮を學せじ、人間に交らば善智識(ぜんちしき)の下に、下山とより外に身を置かじとなり。出家の後殊も深うなるに隨(したが)ひて、此の願も深く起りて候ひしは、前佛已(すで)に涅槃し、後佛末世に出で給はざる中間(ちゅうげん)に、佛法の絶えん時に於て、無法世界の衆生を度せんに、障(さわり)なき程の大道心を起さばや。縱令(たとい)此の愛に於て、無間(むけん)地獄に墜つるとも、衆生の苦に一つに代り得ば、少しも退屈する事なくして、生々世々(しょうじょうせせ)未來際(みらいざい)を盡くすまで、此の願を失はじ。又修行に於て、生死相見(しょうじそうけん)に滯(とどこお)らじ。又自ら其の力到らざらんに、人の利益(りやく)して人の眼を潰さじと、此の願心の僻(ひがみ)となりて、工夫の障と成り候ひしかども、已(や)む事を得ずして、諸佛に對しても、常々此の願を達して候ひしほどに、一切の善惡の緣に對する時も、唯此の願を行じ、諸天の眼を友として、今に至り申し候なり。奉公人の大願も斯(か)くの如くなるべし。
-
葉隠・聞書第一或人、「何某は惜しき者、早死したる。」と申され候。「惜しき者の内にて候。」と答へ申し候。又、「世が末になりて、義理は絶(た)へ申し候。」と申され候。「窮すれば変ず、追付けよくなるべき時節にて候。」と答へ申し候。〔斯様の越度(おちど)〕中野将監(しょうげん)切腹の脇(わき)、大木前兵部(さきのひょうぶ)所にて組中参会(さんかい)に、将監事を様々悪口仕られ候。兵部申し候は、「人の亡き後にて悪口をせぬものなり。殊に科(とが)仰付けられ候衆は、いとほしき事にて候。将監は忠臣と取り沙汰有るべし。」と申され候由。誠に老功の申し分にてあらう。
-
葉隠・聞書第十一中野神右衛門(なかのじんえもん)物語の事。一、一代(いちだい)、夜も寝ずにかせぐべし。其の時漸(ようや)く人並(ひとなみ)に有るべし。一、神右衛門、身内(みうち)に手疵(てきず)十七ヶ所なり。一、神右衛門、三夜(さんや)夢中に、黒髪山(くろかみやま)不動より銭(ぜに)がめを下(くだ)され候。御礼に参詣致し、「子孫繁昌(はんじょう)御守り下され候様に、銭がめは返上仕(つかまつ)り候。」と申上げ候事。一、高麗(こうらい)にて漢南人(かんなんじん)際限なく打出(うちい)で、其の間一町(いっちょう)程に見え、何れも肝を潰し候。直茂公(なおしげこう)、「あの勢は幾万騎(いくまんぎ)と云ふものなるべきや。」と仰せられ候へども、物申す者これ無く、神右衛門、「日本にて三歳牛(さんさいうし)の毛の数と申すが、あれにて候はん。」と申上げ候由。
-
葉隠・聞書第一物頭(ものがしら)などは、組衆に親切にあるべき事なり。中野数馬(利明)大役にて、隙(ひま)これなく候。然れども組衆病気か、何事ぞこれある時は、御城より帰りに、毎日見舞ひ申し候。それ故、組中思ひ付き候なり。