葉隠 / 聞書第十一
物には相應、不相應有り。或人、間もなく一倍の御加増下され候時、味方の衆より、「餘り結構過ぎ、障の方も候まゝ、御斷り申上げられ然るべく」と内意申され候に付、此の人申され候は、「御尤もの儀。相似合はざる儀、荷切り申すまじくとも存じ候へども、主人の御褒美を返上仕るは、老功大役などは相應仕るべきが、我々通りには、似合ひ申さず慮外に相成るべく候。又或人不念にて閉門仰付けられ候時、同役何某少々その引懸り候へども、御構ひ無く候處、「某も同前の不念にて御座候。御構無く差置かれ候時は、最負の樣に相聞え申すべく候。引入申すべく」と申せられ候に付、御耳に達し「了簡次第。」と仰出され、一日遠慮仕られ候。若し引入申さず候はゞ、我が身の難をよけ候樣に、諸人存ずべく候へば、其の圖に當りたる樣に候へども、年寄身上を考へ候へば、能く過ぎ申すべく候。斯様の節の相應は、申し達し樣に仔細これ有るべく候。尤も智有る人に相談有るべき事なり。
新字:物には相応、不相応有り。或人、間もなく一倍の御加増下され候時、味方の衆より、「余り結構過ぎ、障の方も候まゝ、御断り申上げられ然るべく」と内意申され候に付、此の人申され候は、「御尤もの儀。相似合はざる儀、荷切り申すまじくとも存じ候へども、主人の御褒美を返上仕るは、老功大役などは相応仕るべきが、我々通りには、似合ひ申さず慮外に相成るべく候。又或人不念にて閉門仰付けられ候時、同役何某少々その引懸り候へども、御構ひ無く候処、「某も同前の不念にて御座候。御構無く差置かれ候時は、最負の様に相聞え申すべく候。引入申すべく」と申せられ候に付、御耳に達し「了簡次第。」と仰出され、一日遠慮仕られ候。若し引入申さず候はゞ、我が身の難をよけ候様に、諸人存ずべく候へば、其の図に当りたる様に候へども、年寄身上を考へ候へば、能く過ぎ申すべく候。斯様の節の相応は、申し達し様に仔細これ有るべく候。尤も智有る人に相談有るべき事なり。
書き下し
物には相応(そうおう)、不相応有り。或人(あるひと)、間もなく一倍の御加増(ごかぞう)下され候時、味方の衆より、「余り結構過ぎ、障(さわ)りの方も候まま、御断り申し上げられ然るべく」と内意申され候に付、この人申され候は、「御尤(ごもっと)もの儀。相似合わざる儀、荷切り申すまじくとも存じ候えども、主人の御褒美を返上仕るは、老功大役などは相応仕るべきが、我々通りには、似合い申さず慮外(りょがい)に相成るべく候」。また或人、不念(ぶねん)にて閉門仰せ付けられ候時、同役何某(なにがし)少々その引っ懸り候えども、御構い無く候ところ、「某(それがし)も同前の不念にて御座候。御構い無く差し置かれ候時は、最負(さいふ)の様に相聞え申すべく候。引き入り申すべく」と申せられ候に付、御耳に達し「了簡(りょうけん)次第。」と仰せ出され、一日遠慮仕られ候。もし引き入り申さず候わば、我が身の難をよけ候様に、諸人存ずべく候えば、その図に当りたる様に候えども、年寄身上を考へ候えば、能く過ぎ申すべく候。斯様(かよう)の節の相応は、申し達し様に仔細これ有るべく候。尤も智有る人に相談有るべき事なり。
現代語訳
物事には身分や立場に相応・不相応がある。ある人が、まもなく倍の加増を賜ることになったとき、味方の者たちから「あまりに立派すぎて差し障りもあろうから、辞退なさるのがよい」と内々に勧められた。するとこの人はこう言った。「もっともな話だ。分不相応で、断ってはならぬとまでは思わぬが、しかし主君の下さる褒美を返上するのは、功を積んだ重役ならば相応の振る舞いでも、我々ふぜいには似合わず、かえって差し出がましく無礼になろう」。また別の人が、不注意から閉門を命じられたとき、同役の某も少しばかりその件に関わっていたが咎めはなかった。その某は「私も同様の落ち度がございます。お咎めなく放置されては、まるで自分だけ逃げたように聞こえましょう。私も謹慎いたします」と申し出た。これが主君の耳に達し「その分別に任せる」との仰せがあり、一日だけ遠慮した。もし全く謹慎しなければ、我が身の難を逃れたと皆に思われようから、この対応は図に当たっているようにも見える。だが年配の分別ある者の身の上として考えれば、少々やり過ぎだったかもしれない。こうした場合の相応・不相応は、いま述べたように微妙な事情があるものだ。ぜひ知恵のある人に相談すべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
説苑・尊賢孔子閒居して、喟然として歎じて曰く、「銅鞮伯華にして死する無くんば、天下其れ定まる有らん」と。子路曰く、「願わくは其の人と為りの何如なるかを聞かん」と。孔子曰く、「其の幼きや敏にして学を好み、其の壮んなるや勇有りて屈せず、其の老いたるや道有りて能く以て人に下る」と。子路曰く、「其の幼きや敏にして学を好むは則ち可なり、其の壮んなるや勇有りて屈せざるは則ち可なり。夫れ道有らば又誰にか下らんや」と。孔子曰く、「由よ、知らざるなり。吾之を聞く、衆を以て寡を攻めて消えざる無く、貴を以て賤に下りて得ざる無しと。昔周公旦天下の政を制するに在りて士七十人に下る、豈道無からんや。士を得んと欲するの故なり。夫れ道有りて能く天下の士に下る、君子なるかな」と。
-
説苑・說叢賢を欲する者は人に下るに如くは莫く、財を貪る者は身を全うするに如くは莫し。財は義の高きに如かず、勢は德の尊きに如かず。父は無益の子を愛する能わず、君は不軌の民を愛する能わず。君は無功の臣を賞する能わず、臣は無德の君に死する能わず。善く御する者を問わば馬に如くは莫く、善く治むる者を問わば民に如くは莫し。卑を以て尊と為し、屈を以て伸と為すは、聖人の因る所、上は天に法る。
-
人物志・釋爭卑讓降下は、茂進の遂ぐる路なり。矜奮侵陵は、毀塞の険しき途なり。
-
説苑・貴德斉の桓公北のかた山戎氏を伐つ、其の道燕を過ぐ、燕君逆へて境を出づ、桓公管仲に問ひて曰く、「諸侯相逆ふるは固より境を出づるか」と。管仲曰く、「天子に非ざれば境を出でず」と。桓公曰く、「然らば則ち燕君畏れて礼を失へるなり、寡人不道にして燕君をして礼を失はしむ」と、乃ち燕君の至れる所の地を割きて以て燕君に与ふ。諸侯之を聞き、皆斉に朝す。詩に云く、「爾の位を靖恭し、是の正直を好めば、神之を聴き、爾に景福を介けん」と。此を之れ謂ふなり。
-
説苑・尊賢魏の文侯、中山より安邑に奔命す。田子方之に従う。夫子撃(太子撃)之に過ぐるに、車を下りて趨る。子方坐乗すること故の如し。太子に告げて曰く、「我が為に君に請え、我が朝歌するを待て」と。太子説ばず、因りて子方の為に曰く、「貧窮なる者の人に驕るを識らざるか、富貴なる者の人に驕るをや」と。子方曰く、「貧窮なる者は人に驕る、富貴なる者は安んぞ敢えて人に驕らんや。人主人に驕りて其の国を亡ぼす、吾未だ国を以て亡ぶるを待つ者を見ざるなり。大夫人に驕りて其の家を亡ぼす、吾未だ家を以て亡ぶるを待つ者を見ざるなり。貧窮なる者若し意を得ずんば、履を納れて去る、安くに往くとして貧窮を得ざらんや。貧窮なる者は人に驕る、富貴なる者は安んぞ敢えて人に驕らんや」と。太子及び文侯、田子方の語を道う。文侯歎じて曰く、「吾が子の故に非ずんば、吾安んぞ賢人の言を聞くを得んや。吾子方に下るに行を以てし、得て之を友とせり。吾子方を友としてより、君臣益々親しみ、百姓益々附す、吾是を以て士を友とするの功を得たり。我中山を伐たんと欲するに、吾武を以て楽羊に下る、三年にして中山我に献ぜらる、我是を以て武を有つの功を得たり。吾此に少しく進む所以の者は、吾未だ智を以て我に驕る者を見ざればなり。若し智を以て我に驕る者を得ば、豈古の人に及ばざらんや」と。
-
論語・雍也篇子曰く、孟之反は伐らず。奔りて殿たり。将に門に入らんとして、其の馬に策うちて曰く、『敢えて後れたるに非ず、馬進まざればなり』と。