葉隠 / 聞書第十一
太閤秀吉公下賤の時、諸朋輩寢靜まりて後に、日本の主になりてよりの天下の仕置、諸人への知行割、每夜書立て、仕組成されたる由なり。
新字:太閤秀吉公下賤の時、諸朋輩寝静まりて後に、日本の主になりてよりの天下の仕置、諸人への知行割、毎夜書立て、仕組成されたる由なり。
書き下し
太閤秀吉公下賤(げせん)の時、諸朋輩(しょほうばい)寝静まりて後に、日本の主(あるじ)になりてよりの天下の仕置(しおき)、諸人への知行割(ちぎょうわ)り、毎夜書き立て、仕組(しく)み成されたる由なり。
現代語訳
太閤秀吉公が身分の低かったころ、仲間たちが寝静まった後に、日本の主となってから行う天下の統治や、家臣たちへの領地の配分を、毎夜書き記し、構想を練っておられたという。
解説
後に天下人となる豊臣秀吉が、まだ身分の低かった時代から、天下を治める日の構想を毎夜ひそかに練っていた、という逸話です。周りが寝静まってから、いつか日本の主になったときの統治方針や家臣への領地配分まで具体的に書き留めていたというのです。まだ何者でもない時期から、はるか先の理想の姿を鮮明に思い描き、準備を怠らなかったからこそ、機会が訪れたとき一気に駆け上がれた、という教訓が読み取れます。志は高く、しかも漠然とではなく具体的に描け、そして人が休むときにこそ差がつく、という点は、現代の目標設定や努力のあり方にもそのまま通じます。境遇に甘んじず、遠い未来を今から準備する姿勢の力を教える言葉です。
この章句が説くこと
葉隠豊臣秀吉志構想力準備下積み
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