葉隠 / 聞書第十一
死際のよき者は曲者なり。例し多し。日頃、口を利きたる者の死場にて取亂すは、眞の勇士にてなき事、知られたりと。
新字:死際のよき者は曲者なり。例し多し。日頃、口を利きたる者の死場にて取乱すは、真の勇士にてなき事、知られたりと。
書き下し
死際(しにぎわ)のよき者は曲者(くせもの)なり。例(ためし)多し。日頃、口を利きたる者の死場(しにば)にて取亂(とりみだ)すは、眞(しん)の勇士にてなき事、知られたりと。
現代語訳
死に際の見事な者は、なかなかの曲者(本物の人物)である。そういう例は多い。日頃は大言壮語していた者が、いざ死ぬ場面で取り乱すのは、真の勇士ではなかったことが露見するものだ、という。
解説
普段の言葉ではなく、いざという極限の場面での振る舞いこそが、その人の本質を映すと説く一条です。日頃口が達者で威勢のよい者が最期に取り乱すのは、その勇気が上辺だけだった証拠だ、と喝破します。武士にとって死に際は人格の総決算であり、そこで動じない者こそ本物だと見なされました。死を試金石とする点は現代の価値観とは隔たりますが、平時の言葉より危機での行動に人柄が表れる、という洞察は今も鋭い。口ではなく、追い詰められた場面での落ち着きが、その人の実質を語るのです。言行の一致を極限で問う、厳しくも本質的な人間観といえます。
この章句が説くこと
葉隠死に際本質言行一致勇士危機での振る舞い