葉隠 / 聞書第十一
御兩殿様の時は、年寄役立ち兼ね申し候。下々も世忰成長し候へば中惡しき事有り。心持これ有るべき事に候なり。
新字:御両殿様の時は、年寄役立ち兼ね申し候。下々も世忰成長し候へば中悪しき事有り。心持これ有るべき事に候なり。
書き下し
御両殿様(ごりょうとのさま)の時は、年寄役(としよりやく)立ち兼ね申し候。下々(しもじも)も世忰(せがれ)成長し候えば中悪(なかあ)しき事有り。心持(こころもち)これ有るべき事に候なり。
現代語訳
先代と当代、二人の殿が並び立つときは、年寄役(家老)は立場が難しく、板挟みで務めにくくなる。これは身分の低い者の家でも同じで、倅(せがれ)が成長すると親子の仲が悪くなることがある。そうしたものだと、あらかじめ心得ておくべきである。
解説
先代と当代の二人の主君が並び立つと、仕える家老は双方の間で板挟みになり、務めにくくなる、と説いた条です。そしてこれは大名家に限らず、庶民の家でも、子が成長すれば親子の間に摩擦が生じるのと同じだと述べています。世代交代の過渡期には、新旧の権威がぶつかり、間に立つ者が苦労するのは避けがたい。だからこそ、そういうものだと最初から心得ておけ、という現実的な処世訓です。現代でも、創業者と後継者が併存する組織や、親子二代の事業承継の場面で、中間にいる者が板挟みになる構図はよく見られます。世代交代につきものの緊張をあらかじめ理解し、心構えを持つことの大切さを教える一条です。
この章句が説くこと
葉隠両殿世代交代板挟み親子の摩擦処世
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