葉隠 / 聞書第十一
やさしき武士は、古今に實盛一人なり。討死の時は七十餘なり。木村長門守、長髮に香を留め、討死仕られ候。武士は嗜み深く仕るべき事なり。香の留め様、まづ湯氣にうたせて後に香を留むれば、よく留るなり。扇子に香を留め候は、ひらきて湯氣にうたせ、その後、香の上にて一間づゝたゝみ候て、召置き申し候。又扇子の木口に、丁子の油を引き候事、下帶に香を留むべき事、水風呂行水に燒物入れを焼させて後に香を留め候由。火繩にて伽羅を焼くは、火より下に伽羅をはさみ置くなり。
新字:やさしき武士は、古今に実盛一人なり。討死の時は七十余なり。木村長門守、長髪に香を留め、討死仕られ候。武士は嗜み深く仕るべき事なり。香の留め様、まづ湯気にうたせて後に香を留むれば、よく留るなり。扇子に香を留め候は、ひらきて湯気にうたせ、その後、香の上にて一間づゝたゝみ候て、召置き申し候。又扇子の木口に、丁子の油を引き候事、下帯に香を留むべき事、水風呂行水に焼物入れを焼させて後に香を留め候由。火縄にて伽羅を焼くは、火より下に伽羅をはさみ置くなり。
書き下し
やさしき武士は、古今(ここん)に實盛(さねもり)一人なり。討死(うちじに)の時は七十餘(しちじゅうよ)なり。木村長門守(きむらながとのかみ)、長髮(ちょうはつ)に香を留め、討死仕(つかまつ)られ候。武士は嗜(たしな)み深く仕るべき事なり。香の留め様(よう)、まづ湯氣(ゆげ)にうたせて後に香を留むれば、よく留るなり。扇子(せんす)に香を留め候は、ひらきて湯氣にうたせ、その後、香の上にて一間(ひとま)づゝたゝみ候て、召置(めしお)き申し候。又扇子の木口(こぐち)に、丁子(ちょうじ)の油を引き候事、下帶(したおび)に香を留むべき事、水風呂(みずぶろ)行水(ぎょうずい)に燒物入(やきものい)れを焼させて後に香を留め候由。火繩(ひなわ)にて伽羅(きゃら)を焼くは、火より下に伽羅をはさみ置くなり。
現代語訳
優美な心ばえの武士は、古今を通じて斎藤実盛ただ一人である。討死のとき七十余歳であった。木村長門守は、長い髪に香をたきしめて討死なさった。武士は身だしなみを深くたしなむべきものである。香のたきしめ方は、まず湯気に当てておいてから香を留めると、よく染みつく。扇子に香を留めるには、開いて湯気に当て、その後、香の上でひと間ずつたたんで、しまっておくのである。また扇子の木口に丁子の油を引くこと、下帯に香を留めること、水風呂や行水では香炉を焚かせてから香を留めるという。火縄で伽羅をたくときは、火より下に伽羅をはさんで置くのである。
解説
この章句が説くこと
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