葉隠 / 聞書第十一
敵城の強弱見様、煙霞春山を見るが如く、雨後晴天を見るが如しといへり。澄みわたるは弱なり。
書き下し
敵城(てきじょう)の強弱見様、煙霞(えんか)春山を見るが如く、雨後晴天を見るが如しといえり。澄みわたるは弱なり。
現代語訳
敵の強弱の見分け方について。雨あがりの晴天のように澄みわたって見えるのは、弱いしるしである。敵の城の強弱の見分け方は、かすみのかかった春の山を見るようであり、また雨あがりの晴天を見るようであるという。澄みわたって見えるのは弱いのだ。
解説
敵城やその軍勢の強弱を、その場に漂う気配や様子から見分けるという、古い兵法の観察術を説いた条です。かすみに包まれた春山のように奥深く見えるものは強く、雨あがりの空のように澄みわたって隅々まで見通せるものは弱い、といいます。核にあるのは「表に現れた気配から内実を読む」という洞察の姿勢でしょう。もとより神秘的で経験に頼る見立てであり、そのまま真に受けるものではありませんが、相手の張りつめた緊張感や底知れなさを感じ取る、という直観の働きは現代の交渉や観察にも通じます。人や組織の「見え方」から力量を推し量る一つの視点として読めます。
この章句が説くこと
葉隠兵法観察洞察敵情直観
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