鬼谷子 / 捭闔篇
粵若稽古、聖人之在天地間也、爲衆生之先、觀隂陽之開闔以名命物、知存亡之門戶、籌策萬類之終始、逹人心之理、見變化之朕焉、而守司其門戶。故聖人之在天下也、自古及今、其道一也。
新字:粵若稽古、聖人之在天地間也、為衆生之先、観陰陽之開闔以名命物、知存亡之門戸、籌策万類之終始、逹人心之理、見変化之朕焉、而守司其門戸。故聖人之在天下也、自古及今、其道一也。
書き下し
粵に若ち古を稽うるに、聖人の天地の間に在るや、衆生の先と爲る。隂陽の開闔を觀て以て物に名を命け、存亡の門戶を知り、萬類の終始を籌策し、人心の理に逹し、變化の朕を見る。而して其の門戶を守司す。故に聖人の天下に在るや、古より今に及ぶまで、其の道は一なり。
現代語訳
そこで古のことを考えてみると、聖人が天地のあいだにあるときは、人々の先頭に立つものである。陰と陽が開いたり閉じたりするのを観て、それによって物に名をつける。存亡の分かれ目となる門戸を知り、万物の終わりと始まりを計り、人の心の筋道に通じ、変化のきざしを見てとる。そうしてその門戸を守り、つかさどる。だから聖人が天下にあるとき、昔からいまに至るまで、その道は一つである。
解説
『鬼谷子』は説得と交渉の技術書ですが、冒頭は技術の話ではありません。開くか閉じるかを観る、という一点から始まります。門戸とは、物事が出入りする境目のこと。そこを押さえていれば、何が入ってきて何が出ていくかが分かる。名づけるより先に観る、という順序も重要です。実務では逆をやりがちで、まず名前をつけ、分類し、そこから考えはじめる。名づけた瞬間に、その枠でしか見えなくなります。変化のきざしを見るとは、まだ名前のついていないものを見ることです。
この章句が説くこと
捭闔存亡の門戸変化の朕観察本質洞察
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