鬼谷子 / 揣篇
感動而不知其變者、乃且錯其人、勿與語、而更問所親、知其所安。夫情變於內者、形見於外。故常必以其見者而知其隱者、此所以謂測深探情。
新字:感動而不知其変者、乃且錯其人、勿与語、而更問所親、知其所安。夫情変於内者、形見於外。故常必以其見者而知其隠者、此所以謂測深探情。
書き下し
感動して其の變を知らざる者は、乃ち且く其の人を錯きて、與に語る勿かれ。而して更めて親しむ所を問い、其の安んずる所を知る。夫れ情の内に變ずる者は、形外に見る。故に常に必ず其の見わるる者を以て其の隱るる者を知る。此れ深きを測り情を探ると謂う所以なり。
現代語訳
心を動かしても、その変化が読み取れない相手なら、しばらくその人は措いて、語り合わないほうがよい。そして代わりに、その人が親しくしている相手に尋ね、その人が何に安んじているかを知る。そもそも実情が内側で変化するものは、形になって外に現れる。だから、常に必ず現れているものによって、隠れているものを知る。これを、深いところを測り実情を探るという。
解説
読み取れない相手からは、いったん離れる。そして周辺の人に聞く。この二段構えが実務的です。本人と向き合い続けても分からないものは、周囲に聞けば分かることがあります。誰と親しいか、何に安んじているか。人物評価で本人面談ばかりを重ねる採用が精度を上げないのは、この段が言うとおりです。そして原理は「内に変ずれば外に形が現れる」。隠している人でも、何かは外に出ている。見えているものから見えないものを推す、というのが揣情の方法です。
この章句が説くこと
情の内に変ずる者は形外に見る其の親しむ所を問う観察人物眼洞察情報収集
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