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葉隠 / 聞書第十一

生害場は内所に、旅人往還の所には、無用の儀なり。江戸上方の御仕置は、日本の見懲しの為なり。一國の仕置は、一國の見懲し迄なり。悪事多きは國の恥なり、他方の聞も如何に候。科人、程過ぎては、その謂はれも相知れず候。その脇その所にて仕置とれあるべき儀に候由。

新字:生害場は内所に、旅人往還の所には、無用の儀なり。江戸上方の御仕置は、日本の見懲しの為なり。一国の仕置は、一国の見懲し迄なり。悪事多きは国の恥なり、他方の聞も如何に候。科人、程過ぎては、その謂はれも相知れず候。その脇その所にて仕置とれあるべき儀に候由。

書き下し

生害場(しょうがいば)は内所(ないしょ)に、旅人往還(おうかん)の所には、無用の儀なり。江戸上方(かみがた)の御仕置(おしおき)は、日本の見懲(みごら)しの為なり。一国の仕置は、一国の見懲し迄(まで)なり。悪事多きは国の恥なり、他方(たほう)の聞(きこ)えも如何(いか)に候(そうろう)。科人(とがにん)、程過ぎては、その謂(いわ)れも相知(あいし)れず候。その脇(わき)その所にて仕置これあるべき儀に候由(よし)。

現代語訳

刑場は目立たぬ場所に設けるべきで、旅人が行き交う所に置くのは無用のことだ。江戸や上方での処刑は、日本全体への見せしめのためである。一国の処刑は、その一国への見せしめまでのことだ。悪事が多いのは国の恥であり、他国の評判にもかかわる。罪人も時が経ちすぎては、その罪の由来もわからなくなる。その場その場で処刑を行うべきだということである。

解説

刑罰の見せしめとしての意味と、その扱い方を論じた一条です。刑場を人目につく往還に置くのは無用であり、悪事の多さは国の恥として他国の評判にも響くと述べます。見せしめには範囲があり、罪も時が過ぎればその由来が忘れられて意味を失うため、事はその場その時に処すべきだ、という統治者の視点からの実務的な考えです。刑罰を単なる報復ではなく、社会への効果と体面の観点から捉えている点が特徴的です。ただし公開処刑を前提とする発想は、罪と罰を公にさらすという当時の統治観に根ざしており、現代の人権尊重の刑罰観とは大きく隔たる点に留意が必要です。

この章句が説くこと

葉隠刑罰見せしめ統治国の恥治政

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