葉隠 / 聞書第十一
太閤樣、名護屋御越の節、主水殿、御謀叛勸められ候。然れども未がつゝかぬなり。又三國領するも安き事なれども、「討つ事は安き事なり。然れども十代と治むる事、とても成るまじ。一國計りは長久すべし。」と仰せられ候由。
新字:太閤様、名護屋御越の節、主水殿、御謀叛勧められ候。然れども未がつゝかぬなり。又三国領するも安き事なれども、「討つ事は安き事なり。然れども十代と治むる事、とても成るまじ。一国計りは長久すべし。」と仰せられ候由。
書き下し
太閤様、名護屋御越の節、主水殿、御謀叛勧められ候。しかれども未(いま)がつつかぬなり。また三国領するも安き事なれども、「討つ事は安き事なり。しかれども十代と治むる事、とても成るまじ。一国ばかりは長久すべし。」と仰せられ候由。
現代語訳
鍋島直茂が、豊臣秀吉の名護屋への下向のとき、謀叛を勧めた主水の進言を退けた話である。太閤秀吉が名護屋へ下ってきた折、主水殿は直茂に謀叛を勧めた。だが機はまだ熟していなかった。討ち取って三国を領することも容易ではあったが、直茂は「討つこと自体はたやすい。しかし奪ったところで十代にわたって治め続けることは、とうていできまい。一国だけなら末長く保てるはずだ」と言われたという。
解説
野心を煽る進言を、鍋島直茂が冷静に退けた逸話です。秀吉を討って三国を奪うことは武力的には可能でも、力ずくで得た版図を子孫十代にわたって維持することはできない――直茂はそう見抜き、身の丈に合った一国の永続を選びます。目先の拡大より、持続可能性を優先する経営的な判断です。分不相応な獲得は一時の栄光をもたらしても、やがて破綻を招く。現代の事業や組織運営でも、急拡大の誘惑を退け、長く保てる規模を見極める眼識として通じます。実力と欲望を切り分け、「保ち続けられるか」で決断する冷静さを教える一条です。
この章句が説くこと
葉隠鍋島直茂豊臣秀吉野心分相応持続可能性
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