葉隠 / 聞書第十一
具足は前を、甲はよくよく吟味せよ、首に添へて敵方に行くもの。具足は前を、甲はよくよく吟味すべし。首に添へて敵方に行くものなりと。或大將の曰く、物頭の外の士共、具足を試さば前ばかり試すべき由。又具足の結構は入るべからず、甲はよくよく吟味すべし。
新字:具足は前を、甲はよくよく吟味せよ、首に添へて敵方に行くもの。具足は前を、甲はよくよく吟味すべし。首に添へて敵方に行くものなりと。或大将の曰く、物頭の外の士共、具足を試さば前ばかり試すべき由。又具足の結構は入るべからず、甲はよくよく吟味すべし。
書き下し
具足(ぐそく)は前を、甲(かぶと)はよくよく吟味せよ、首に添えて敵方に行くもの。具足は前を、甲はよくよく吟味すべし。首に添えて敵方に行くものなりと。或(ある)大将の曰く、物頭(ものがしら)の外の士共(さむらいども)、具足を試さば前ばかり試すべき由。又具足の結構(けっこう)は入るべからず、甲はよくよく吟味すべし。
現代語訳
具足(鎧)は前面を、兜はよくよく吟味せよ、兜は討たれれば首に添えて敵方へ行くものだから。具足は前面を、兜はよくよく吟味すべきだ。兜は首とともに敵の手に渡るものだからである。ある大将が言うには、物頭(部隊長)以外の武士は、具足の丈夫さを試すなら前面だけ試せばよいという。また具足に立派な装飾は不要だが、兜だけはよくよく吟味すべきだ、と。
解説
武具の心得を通して、武士の覚悟のありようを説く一条です。鎧は前面さえ丈夫なら足りる、という言葉には、決して背を見せず前へ進む者だからこそ後ろは要らない、という気概がにじみます。一方で兜だけは念入りに吟味せよと言うのは、討ち死にすれば首が兜とともに敵陣へ運ばれ、人目にさらされるからです。死してなお恥ずかしくない姿でありたい、という美意識がここにあります。実用の心得が、そのまま生き方・死に方の覚悟に直結しているところに『葉隠』らしさがあります。現代に武具の話は縁遠いものの、「最後に人目に残る姿まで整えておく」という配慮は、仕事の締めくくりや身仕舞いの心得として読み替えられます。ただし討ち死にを前提とする価値観は、現代とは隔たりがある点に留意が必要です。
この章句が説くこと
葉隠具足兜覚悟討ち死に美意識
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