葉隠 / 聞書第十一
心を沈むる事、ツノミなり。立腹の時も同然なり。額にツを附くるもよし。吉田流の弓にツノミとあるも、極意はこれなり。
書き下し
心を沈(しず)むる事、ツノミなり。立腹の時も同然なり。額(ひたい)にツを附(つ)くるもよし。吉田流(よしだりゅう)の弓にツノミとあるも、極意はこれなり。
現代語訳
心を落ち着かせる法は「ツノミ(唾呑み)」である。心を静めるには唾を呑むとよく、腹が立ったときも同じだ。これが吉田流弓術の極意である。立腹のときも同様だ。額に唾をつけるのもよい。吉田流の弓術に「ツノミ」とあるのも、その極意はこれなのである。
解説
動揺したり腹が立ったりしたとき、唾を呑み込んで心を鎮めよ、という実践的な心の制御法を伝える短い一条です。吉田流弓術の極意として、緊張の一瞬に平静を取り戻す身体的な作法が語られています。唾を呑むという一見素朴な動作は、呼吸を整え間を置くことで昂ぶった感情を落ち着かせる、理にかなった工夫です。現代でいえば、怒りや緊張を感じたときに一呼吸置く、ぐっと唾を飲み込んで一拍待つ、といったセルフコントロールに通じます。心を「気持ちで抑える」のではなく、具体的な身体動作を手がかりに鎮めるという知恵は、武道に限らず日常のあらゆる場面で役立つ実用的な教えです。
この章句が説くこと
葉隠ツノミ心の制御吉田流弓術平常心立腹
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