葉隠 / 聞書第十一
中野神右衞門子供へ申聞け候事。子孫末代に至る迄、子いかほど多く持ち候とも、御草履取御馬取にても其の者器量次第奉公に出すべきなり。御草履取候事は、侍の末子を差出し度き事なり。
新字:中野神右衛門子供へ申聞け候事。子孫末代に至る迄、子いかほど多く持ち候とも、御草履取御馬取にても其の者器量次第奉公に出すべきなり。御草履取候事は、侍の末子を差出し度き事なり。
書き下し
中野神右衞門(かんえもん)子供へ申聞(もうしき)け候事。子孫末代に至る迄、子いかほど多く持ち候とも、御草履取(おぞうりとり)御馬取(おうまとり)にても其の者器量次第奉公に出すべきなり。御草履取候事は、侍の末子(ばっし)を差出し度(た)き事なり。
現代語訳
中野神右衛門が子供たちに言い聞かせたことである。子孫末代に至るまで、子をどれほど多く持とうとも、草履取りや馬取りといった下役であっても、その者の器量に応じて奉公に出すべきである。草履取りの役などは、むしろ侍の末の子を差し出したいほどの、ありがたい奉公なのだ。
解説
奉公の役目に貴賤はなく、たとえ草履取りや馬取りのような下役であっても、主君に仕える尊い務めだと説く一条です。侍の子を数多く持っても、身分の低い役を嫌わず、その者の器量に応じて出仕させよと戒めます。むしろ草履取りのような役こそ末の子を出したいほどありがたい、という言葉には、奉公そのものに価値を見る姿勢が表れています。現代でいえば、仕事に上下の貴賤をつけず、与えられた役割を誠実に全うすることの尊さと重なります。役目の大小より、そこに込める真心を重んじる家訓といえます。
この章句が説くこと
葉隠中野神右衛門奉公役割貴賤なし器量
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