葉隠 / 聞書第一
役所などにて別けて取込み居り候處に、無心に何かと用事など申す人これあり、時、多分取合ひ惡しく立腹などする者あり。別けて宜しからざる事なり。左樣の時ほど押しづめ、よき樣に取合ひ仕るべき事、侍の作法なり。
新字:役所などにて別けて取込み居り候処に、無心に何かと用事など申す人これあり、時、多分取合ひ悪しく立腹などする者あり。別けて宜しからざる事なり。左様の時ほど押しづめ、よき様に取合ひ仕るべき事、侍の作法なり。
書き下し
役所などにて分けて取り込み居り候ところに、無心(むしん)に何かと用事など申す人これあり。時、多分(たぶん)取り合い悪しく立腹(りっぷく)などする者あり。分けて宜(よろ)しからざる事なり。左様(さよう)の時ほど押しづめ、よき様に取り合い仕(つかまつ)るべき事、侍の作法なり。
現代語訳
役所などでとりわけ立て込んで忙しくしているところへ、こちらの都合も構わず何かと用事を言ってくる人がいる。そんなとき、たいてい応対がぞんざいになり、腹を立てたりする者がいる。これはとりわけよくないことだ。そういう忙しいときほど気持ちを鎮めて、丁寧に応対するのが侍の作法である。
解説
多忙で余裕のないときの応対のあり方を説いた一節です。忙しいところへ無遠慮な用件を持ち込まれると、つい応対が雑になり苛立ってしまう。しかし『葉隠』は、そういうときほど心を静めて丁寧に応じるのが侍の作法だと諭します。余裕のあるときに礼儀正しくあるのは誰でもできる。人の真価は、追い詰められて余裕を失ったときの振る舞いに表れる、という考えがここにあります。現代の職場でも、締め切り前や繁忙期に割り込みの依頼が入る場面は絶えません。そこで態度を崩さず穏やかに応対できるかどうかは、その人の器量を映します。忙しいときこそ落ち着く、という戒めは今も実践しがいのあるものでしょう。
この章句が説くこと
多忙時の対応平常心礼儀器量苛立ちを鎮める割り込みへの応対
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