葉隠 / 聞書第十一
安藝殿、子孫軍法、承らざる様にと申され候事。「戰場に臨みては、分別が出來て、何とも止められぬものなり。分別ありては突破する事ならず、なか〳〵埒明くまじく候。我が子孫軍法稽古仕るまじく。」と申され候由。
新字:安芸殿、子孫軍法、承らざる様にと申され候事。「戦場に臨みては、分別が出来て、何とも止められぬものなり。分別ありては突破する事ならず、なか〳〵埒明くまじく候。我が子孫軍法稽古仕るまじく。」と申され候由。
書き下し
安藝殿(あきどの)、子孫軍法を承らざる様にと申され候事。「戰場に臨みては、分別(ふんべつ)が出來て、何とも止められぬものなり。分別ありては突破する事ならず、なかなか埒(らち)明くまじく候。我が子孫軍法稽古仕(つかまつ)るまじく。」と申され候由。
現代語訳
安芸殿が、子孫は軍法(兵法の学問)を習わぬようにと言われたという話である。「戦場に臨むと、あれこれ分別が働いて、どうにも身動きが止まってしまうものだ。分別があっては敵陣を突破することもできず、なかなか埒があかない。だから我が子孫は軍法の稽古をしてはならない」と言われたそうだ。
解説
戦場という極限では、理屈で状況を分析する「分別」がかえって足かせになる、と説く一条です。あれこれ考えて損得や理を計るうちに体がすくみ、突破の機を逃してしまう。だから学問としての軍法をあえて子孫に禁じる、という逆説的な戒めです。『葉隠』が繰り返し説く「無分別で踏み込む」思想と通じます。むろん現代では冷静な分析や準備が重要な場面も多く、そのまま鵜呑みにはできませんが、いざ動くべき瞬間には考えすぎが決断を鈍らせるという指摘は、今も通じる実践知です。準備と決行を切り分ける知恵として読めます。
この章句が説くこと
葉隠分別無分別決断考えすぎ戦場の心得
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