葉隠 / 聞書第一
古人の詞に、七息思案と云ふとあり。隆信公は、「分別も久しくすればねばまる。」と仰せられ候。直茂公は、「萬事しだるきこと十に七つ悪し。武士は物事手取早にするものぞ。」と仰せられ候由。心氣ろく〳〵としたるときは、分別も埒明かず。なづみなく、さわやかに、りんとしたる氣にては、七息に分別すむものなり。胸すわりて、突つ切れたる氣の位なり。
新字:古人の詞に、七息思案と云ふとあり。隆信公は、「分別も久しくすればねばまる。」と仰せられ候。直茂公は、「万事しだるきこと十に七つ悪し。武士は物事手取早にするものぞ。」と仰せられ候由。心気ろく〳〵としたるときは、分別も埒明かず。なづみなく、さわやかに、りんとしたる気にては、七息に分別すむものなり。胸すわりて、突つ切れたる気の位なり。
書き下し
古人の詞(ことば)に、七息思案(しちそくしあん)と云ふとあり。隆信公(たかのぶこう)は、「分別も久しくすればねばまる。」と仰せられ候。直茂公(なおしげこう)は、「万事(ばんじ)しだるきこと十に七つ悪し。武士は物事(ものごと)手取早(てとりばや)にするものぞ。」と仰せられ候由。心気(しんき)ろくろくとしたるときは、分別も埒(らち)明かず。なづみなく、さわやかに、りんとしたる気にては、七息に分別すむものなり。胸すわりて、突つ切れたる気の位(くらい)なり。
現代語訳
昔の人の言葉に「七息思案」というものがある。隆信公は「分別も長く考えすぎると粘りついて動けなくなる」と言われた。直茂公は「何事もぐずぐず手間取るのは、十のうち七つまでよくない。武士は物事を手早くするものだ」と言われたという。気持ちがぐずぐずしている時は、いくら考えても決着がつかない。とどこおりなく、さわやかに、りんとした気構えでいれば、七つ息をつく間に分別はつくものだ。胸が据わり、思い切りよく突き抜けた心の位である。
解説
決断は速くあれ、という『葉隠』の有名な教えの一つです。「七息思案」とは、息を七つする程度の短い間に判断を決めよ、という意味。長く迷えば考えは粘りつき、かえって動けなくなると戒めます。ただしこれは、備えのない拙速を勧めるものではありません。日頃から胸を据えて覚悟を定めているからこそ、いざという時に迷わず即断できる、という前提があります。心がぐずついていれば時間をかけても答えは出ず、澄んで凛とした心であれば短時間で決まる、というのです。現代でも、意思決定を先延ばしにして機を逃す場面は多いもの。完璧な情報を待つより、平素に判断の軸を養い、思い切りよく決める胆力を持つことの価値を、この一節は教えてくれます。
この章句が説くこと
七息思案即断決断力迷いを断つ胆力手早さ
関連する章句
-
孟子・滕文公章句下戴盈之曰く、「什一にして、關市の征を去るは、今茲は未だ能わず。請う之を輕くし、以て來年を待ち、然る後に已めん。何如。」孟子曰く、「今、人日々に其の鄰の雞を攘む者有らんに、或ひと之に告げて曰く、『是れ君子の道に非ず。』曰く、『請う之を損して、月に一雞を攘み、以て來年を待ち、然る後に已めん。』如し其の義に非ざるを知らば、斯に速やかに已めんのみ。何ぞ來年を待たんや。」
-
言志四録・南洲手抄果断は、義より来るもの有り。智より来るもの有り。勇より来るもの有り。義と智とを併せて来るもの有り、上なり。徒に勇のみなるは殆し。
-
論語・陽貨篇子路曰く、「君子は勇を尚ぶか。」子曰く、「君子は義以て上と為す。君子勇有りて義無ければ乱を為し、小人勇有りて義無ければ盗を為す。」
-
『韓非子』亡徵第十五緩心にして成る無く、柔茹にして斷寡く、好惡決する無くして、定立する所無き者は、亡ぶ可きなり。
-
『韓非子』外儲説右上第三十四能く獨り斷ずる者は、故に以て天下の主と為る可し。
-
説苑・君道武王、太公に問いて曰く、「賢を得敬士すれど、或いは以て治を為す能わざるは何ぞや」と。太公対えて曰く、「独断する能わず、人言を以て断ずる者は殃いなり」と。武王曰く、「何を以て人言を以て断ずと為すや」と。太公対えて曰く、「去る所を定むる能わずして人言を以て去り、取る所を定むる能わずして人言を以て取り、為す所を定むる能わずして人言を以て為し、罰する所を定むる能わずして人言を以て罰し、賞する所を定むる能わずして人言を以て賞す。賢者は必ずしも用いられず、不肖は必ずしも退けられず、士は必ずしも敬せられず」と。武王曰く、「善し、其の国を為すこと何如」と。太公対えて曰く、「其の人と為りや其の情を聞くを悪みて、人の情を聞くを喜び、其の悪を聞くを悪みて、人の悪を聞くを喜ぶ。是を以て必ずしも治まらざるなり」と。武王曰く、「善し」と。