葉隠 / 聞書第十一
大家太郎左衞門御使仰付けられ候事 矢合はせの前日仰入れのため、柳河へ御使者太郎左衞門遣はさるべく候由、直茂公仰出され候。太郎左衞門儀不男吶にて候故、宜しかるまじき由、いづれも申上げ候へども、「今度の使は男振口上の入る事にてなし、骨一つにて濟むなり。太郎左衞門骨の事は見拔き置き候。」と仰せられ候て、柳河へ遣はされ候。さて、あなたにて御口上、「今度御下知によりて明日其許へ發向仕る事に候。何卒御斷り仰せらるべく思召し候はゞ、早々兩御檢使へ仰入れられ然るべき」の趣、吶り廻り候て申達し候。返事これなき間に、襖一重あなたにて、柳河士ども申し候は、「手ぬるき口上の趣かな。立花と云はるゝ者が、この期になり斷りを申すべしと存ぜらるゝか。又あの使の者は、さてゝ見苦しき男振、口上も碌に申し得ず、よくゝ鍋島は人を持たれぬと見えたり。」などと、樣々惡口仕り候。さ候て返事相濟み、太郎左衞門罷立ち候節、高聲に申し候は、「唯今其許にて御評制の趣、此方へ相聞え、耳の役に委しく承り届け候。手ぬるき鍋島の槍にて疊の上の御批制とは、ちと違ひ申すべく候。さて又拙者不男 不口上との非難尤もに候。武士は男振口上が役に立つものと思召し候や、拙者が虎口の働きをも明日御目に懸くべく候。この不男に御出合ひ御覽候へ。若又、唯今手並御覽有りたく候はゞ、これへ御出で候へ。明日各へ御目に懸くべく候。致して御目に懸くべし」と申し候て、暫し相控へ、罷歸り候由。一說に、右御使成富兵庫相勤め候とも、又、久布白久白とも申し候なり。
新字:大家太郎左衛門御使仰付けられ候事 矢合はせの前日仰入れのため、柳河へ御使者太郎左衛門遣はさるべく候由、直茂公仰出され候。太郎左衛門儀不男吶にて候故、宜しかるまじき由、いづれも申上げ候へども、「今度の使は男振口上の入る事にてなし、骨一つにて済むなり。太郎左衛門骨の事は見抜き置き候。」と仰せられ候て、柳河へ遣はされ候。さて、あなたにて御口上、「今度御下知によりて明日其許へ発向仕る事に候。何卒御断り仰せらるべく思召し候はゞ、早々両御検使へ仰入れられ然るべき」の趣、吶り廻り候て申達し候。返事これなき間に、襖一重あなたにて、柳河士ども申し候は、「手ぬるき口上の趣かな。立花と云はるゝ者が、この期になり断りを申すべしと存ぜらるゝか。又あの使の者は、さてゝ見苦しき男振、口上も碌に申し得ず、よくゝ鍋島は人を持たれぬと見えたり。」などと、様々悪口仕り候。さ候て返事相済み、太郎左衛門罷立ち候節、高声に申し候は、「唯今其許にて御評制の趣、此方へ相聞え、耳の役に委しく承り届け候。手ぬるき鍋島の槍にて畳の上の御批制とは、ちと違ひ申すべく候。さて又拙者不男 不口上との非難尤もに候。武士は男振口上が役に立つものと思召し候や、拙者が虎口の働きをも明日御目に懸くべく候。この不男に御出合ひ御覧候へ。若又、唯今手並御覧有りたく候はゞ、これへ御出で候へ。明日各へ御目に懸くべく候。致して御目に懸くべし」と申し候て、暫し相控へ、罷帰り候由。一説に、右御使成富兵庫相勤め候とも、又、久布白久白とも申し候なり。
書き下し
大家太郎左衛門御使(おつかい)仰付けられ候事。矢合(やあわ)せの前日仰入(おおせい)れのため、柳河(やながわ)へ御使者太郎左衛門遣(つか)わさるべく候由、直茂(なおしげ)公仰出され候。太郎左衛門儀不男吶(ぶおとこども)りにて候故、宜しかるまじき由、いずれも申上げ候えども、「今度の使は男振口上の入る事にてなし、骨一つにて済むなり。太郎左衛門骨の事は見抜き置き候。」と仰せられ候て、柳河へ遣わされ候。さて、あなたにて御口上、「今度御下知(げち)によりて明日其許(そこもと)へ発向(はっこう)仕る事に候。何卒(なにとぞ)御断り仰せらるべく思召(おぼしめ)し候わば、早々両御検使(りょうごけんし)へ仰入れられ然るべき」の趣、吶(ども)り廻りて申達し候。返事これなき間に、襖(ふすま)一重(ひとえ)あなたにて、柳河士ども申し候は、「手ぬるき口上の趣かな。立花(たちばな)と云わるる者が、この期(ご)になり断りを申すべしと存ぜらるるか。又あの使の者は、さてさて見苦しき男振、口上も碌(ろく)に申し得ず、よくよく鍋島は人を持たれぬと見えたり。」などと、様々悪口仕り候。さ候て返事相済み、太郎左衛門罷立(まかりた)ち候節、高声(こうせい)に申し候は、「只今其許にて御評制の趣、此方(こなた)へ相聞え、耳の役に委(くわ)しく承り届け候。手ぬるき鍋島の槍にて畳の上の御批制とは、ちと違い申すべく候。さて又拙者不男・不口上との非難尤(もっと)もに候。武士は男振口上が役に立つものと思召し候や、拙者が虎口(ここう)の働きをも明日御目に懸くべく候。この不男に御出合い御覧候え。若(も)し又、只今手並御覧有りたく候わば、これへ御出で候え。明日各(おのおの)へ御目に懸くべく候。致して御目に懸くべし」と申し候て、暫(しば)し相控え、罷帰り候由。一説に、右御使成富兵庫(なりとみひょうご)相勤め候とも、又、久布白(くぶしろ)とも申し候なり。
現代語訳
戦場の使者に、見た目の良さや弁舌はいらない、という大家太郎左衛門の話である。矢合わせ(開戦)の前日、通告の使者として柳河へ太郎左衛門を遣わすよう直茂公が命じられた。太郎左衛門は風采が上がらず口下手なので不向きだと皆が申し上げたが、「今度の使いは見た目や弁舌のいる用ではない。肝(きも)一つで済む。太郎左衛門の肝は見抜いている」と仰せになり、柳河へ遣わされた。さて先方で口上を述べ、「このたびの命により明日そちらへ攻め向かう。もし断りを申されたければ、早々に両検使へ申し入れられるがよい」との趣旨を、どもりながら伝えた。返事が来ぬ間に、襖一枚隔てた向こうで柳河の武士たちが、「手ぬるい口上だ。立花ほどの者が今さら断りを言うと思っているのか。あの使者はまた見苦しい風采で、口上もろくに言えぬ。鍋島は人材を持たぬと見える」と散々に悪口を言った。やがて返事が済み、太郎左衛門は立ち去りぎわに大声で言った。「ただ今そちらでの評定の様子、こちらまで聞こえ、耳の役目でしかと承った。手ぬるい鍋島の槍と、畳の上の批評とは、少し違って御覧に入れよう。さて拙者が不男・口下手との非難はもっともだ。武士は見た目や弁舌が役に立つものとお思いか。拙者の決死の働きを明日お目にかけよう。この不男によく御対面あれ。もし今すぐ腕前を御覧になりたければ、これへ御出でなさい。明日、各々方にお目にかける。必ずお目にかけよう」と言い、しばし控えてから帰った。一説には、この使者は成富兵庫が務めたとも、また久布白であったとも言われる。
解説
この章句が説くこと
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