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葉隠 / 聞書第二

數馬申し候は、茶の湯に古き道具を用ふる事を、むさき事、新しき器綺麗にて然るべしと申す衆あり。又古き道具はしをらしき故用ふるなどと思ふ人もあり。皆相違なり。古き道具は下賤の者も取扱ひたる物なれども、よくゝその德ある故に、大人の手にも觸れらるゝものなり。德を貴みてなり。奉公人も同然なり。下賤より高位になりたる人は、その德ある故なり。然るを、氏もなき者と同役はなるまじ、昨今まで足輕にてありし者を頭人には罷成らず、と思ふは以ての外取違ひなり。もとより、その位に備りたる人よりは、下より登りたるは、德を貴みて一入崇敬する筈なり。

新字:数馬申し候は、茶の湯に古き道具を用ふる事を、むさき事、新しき器綺麗にて然るべしと申す衆あり。又古き道具はしをらしき故用ふるなどと思ふ人もあり。皆相違なり。古き道具は下賤の者も取扱ひたる物なれども、よくゝその徳ある故に、大人の手にも触れらるゝものなり。徳を貴みてなり。奉公人も同然なり。下賤より高位になりたる人は、その徳ある故なり。然るを、氏もなき者と同役はなるまじ、昨今まで足輕にてありし者を頭人には罷成らず、と思ふは以ての外取違ひなり。もとより、その位に備りたる人よりは、下より登りたるは、徳を貴みて一入崇敬する筈なり。

書き下し

数馬(かずま)申し候は、茶の湯に古き道具を用うる事を、むさき事、新しき器綺麗(きれい)にて然(しか)るべしと申す衆あり。また古き道具はしおらしき故(ゆえ)用うるなどと思う人もあり。皆相違なり。古き道具は下賤(げせん)の者も取り扱いたる物なれども、よくよくその徳ある故に、大人(たいじん)の手にも触れらるるものなり。徳を貴みてなり。奉公人も同然なり。下賤より高位になりたる人は、その徳ある故なり。然るを、氏(うじ)もなき者と同役はなるまじ、昨今(さっこん)まで足軽にてありし者を頭人(とうにん)には罷成(まかりな)らず、と思うは以ての外(もってのほか)取違(とりちが)いなり。もとより、その位に備わりたる人よりは、下より登りたるは、徳を貴みて一入(ひとしお)崇敬する筈なり。

現代語訳

数馬が言うには——茶の湯に古い道具を使うことを、汚らしいことだ、新しくきれいな器がよい、と言う人がいる。また、古い道具はしみじみ趣があるから使うのだ、と思う人もいる。どちらも間違いだ。古い道具は身分の低い者も手にした物ではあるが、よくよくその徳がそなわっているからこそ、貴人(大人)の手にも触れられるのだ。その徳を尊んでのことである。奉公人も同じことだ。低い身分から高い地位に上った人は、その徳があるからこそ上がったのである。それなのに、家柄もない者と同役にはなれない、昨日まで足軽だった者を上役にはできない、と思うのは、とんでもない思い違いだ。もともとその地位にふさわしく生まれた人よりも、下から上った人は、その徳を尊んで一段と敬うべきなのである。

解説

身分の低い出自から高い地位へ上った人こそ、その徳ゆえに一層敬うべきだと説く、常朝の見識が光る一条です。古い茶道具のたとえが巧みで、賤しい者も手にした古道具が貴人にも用いられるのは、そこに「徳」がそなわっているから。人も同じで、下から登った者は徳があればこそ登れたのだ、と言います。家柄のない者を見下し、昨日までの足軽を上役に立てられぬと考えるのは、身分にとらわれた大きな思い違いだと退けます。生まれよりも、その人が積んだ実質と徳を見よ、という価値観の転換です。現代でも、経歴や出自でなく実力と人格で人を評価する姿勢に通じます。這い上がってきた者への敬意を説く、公平で先進的な人物観です。

この章句が説くこと

葉隠徳を貴ぶ実力主義身分にとらわれない茶道具のたとえ人物評価

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