葉隠 / 聞書第十一
討手など仰付けられ候時の事 討手や御用の時は、一足も後へ歸らず出先から直ぐ向へ。何方へ參り居り候とも宿許へ歸らず、一足も後へ歸らず、直に立向ふべし。平日御用と申來り候時も同然なり。されば、武士は前廉の覺悟、嗜み入るべき事なり。
新字:討手など仰付けられ候時の事 討手や御用の時は、一足も後へ帰らず出先から直ぐ向へ。何方へ参り居り候とも宿許へ帰らず、一足も後へ帰らず、直に立向ふべし。平日御用と申来り候時も同然なり。されば、武士は前廉の覚悟、嗜み入るべき事なり。
書き下し
討手(うって)など仰付(おおせつ)けられ候時の事 討手や御用の時は、一足(ひとあし)も後へ帰らず出先から直(す)ぐ向(むこう)へ。何方(いずかた)へ参り居り候とも宿許(やどもと)へ帰らず、一足も後へ帰らず、直(ただち)に立向(たちむか)ふべし。平日(へいじつ)御用と申来(もうしきた)り候時も同然なり。されば、武士は前廉(まえかど)の覚悟、嗜(たしな)み入るべき事なり。
現代語訳
討手などを仰せつけられたときの心得。討手や御用を命じられたときは、一歩も後へ戻らず、出先からそのまま現場へ向かえ。どこにいようとも宿へは帰らず、一歩も引き返さず、ただちに立ち向かうべきである。ふだんの御用を申しつけられたときも同じことだ。だから武士は、事が起こる前からの覚悟を、日頃たしなんでおくべきなのである。
解説
命令を受けたら一歩も引き返さず、そのまま任務へ向かえと説く一条です。要点は末尾の「前廉の覚悟」、すなわち事が起こってから慌てるのではなく、平時からあらかじめ心構えを整えておけ、という点にあります。いざ命じられてから支度に戻っていては、決意が鈍り機を逃す。だから日頃の備えこそが肝心だと言うのです。討手という物騒な役目を前提にしている点は現代の価値観とは隔たりますが、「準備は事前に済ませ、いざとなれば迷わず動く」という構えは、緊急対応や責任ある職務に通じます。覚悟は当日ではなく日常のうちに養われる、という示唆を与えてくれます。
この章句が説くこと
葉隠討手御用前廉の覚悟日頃の備え即応
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