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葉隠 / 聞書第十一

鍋島元茂、兵道勝利書立を差出して家光將軍の指南役に極る 月堂樣劍術の勝利御書立差上げられ候事 家光公、兵法御稽古思召立たれ、御師匠を、紀伊樣御内の助九郎か、鍋島紀伊守かと御心當にて、兩人へ兵道の勝利書立を以て申上ぐべき旨仰出され候時、助九郎よりは奉書三枚書立て差上げ、月堂樣よりは奉書一枚に、「善ト思フ惡シ、惡ト思フ惡シ、善惡トモ惡シ、思ハザルトコロ善シ。」と遊ばされ、差上げられ候。やがて御稽古に極り候處、御他界故其の儀無く候。

新字:鍋島元茂、兵道勝利書立を差出して家光将軍の指南役に極る 月堂様剣術の勝利御書立差上げられ候事 家光公、兵法御稽古思召立たれ、御師匠を、紀伊様御内の助九郎か、鍋島紀伊守かと御心当にて、両人へ兵道の勝利書立を以て申上ぐべき旨仰出され候時、助九郎よりは奉書三枚書立て差上げ、月堂様よりは奉書一枚に、「善ト思フ悪シ、悪ト思フ悪シ、善悪トモ悪シ、思ハザルトコロ善シ。」と遊ばされ、差上げられ候。やがて御稽古に極り候処、御他界故其の儀無く候。

書き下し

鍋島元茂(もとしげ)、兵道勝利の書立(かきたて)を差出して家光將軍の指南役に極(きま)る。月堂樣(げつどうさま)劍術の勝利の御書立差上げられ候事。家光公、兵法御稽古思召立(おぼしめした)たれ、御師匠を、紀伊樣(きいさま)御内(おんうち)の助九郎か、鍋島紀伊守(きいのかみ)かと御心當(おこころあて)にて、兩人へ兵道の勝利書立を以て申上ぐべき旨仰出(おおせいだ)され候時、助九郎よりは奉書(ほうしょ)三枚書立てて差上げ、月堂樣よりは奉書一枚に、「善と思ふ惡し、惡と思ふ惡し、善惡ともに惡し、思はざるところ善し。」と遊ばされ、差上げられ候。やがて御稽古に極り候處、御他界故(ゆえ)其の儀無く候。

現代語訳

鍋島元茂(月堂)が兵法勝利の心得を書いて差し出し、家光将軍の指南役に決まったという話である。家光公が兵法の稽古を思い立たれ、師匠を紀伊様の家中の助九郎にするか鍋島紀伊守にするかと心づもりされ、両人に兵法勝利の心得を書いて申し上げるよう命じられた。すると助九郎は奉書三枚に書き連ねて差し上げたが、月堂は奉書一枚にただ「善と思うのも悪い、悪と思うのも悪い、善悪ともに悪い、何も思わないところが善い」とだけ書いて差し上げた。やがて月堂を師匠にと決まったが、家光公が亡くなられたため、その儀は実現しなかった。

解説

兵法の極意を問われて、助九郎が三枚にわたり技術を書き連ねたのに対し、月堂は一枚に「善も悪も思わぬところが善い」とだけ記しました。心を一つの判断にとらわれさせず、無心のうちに動く境地こそ勝利の本源だという禅的な武の思想です。技巧を細かく説くより、根本の心構えを一言で示すほうが将軍の心をとらえた、という逸話でもあります。仕事や判断においても、あれこれ計算して迷うより、余計な思いを離れて自然に対処するほうが力を発揮できる場面があります。量より本質を突く一言の重みを教える一条といえます。

この章句が説くこと

葉隠兵法鍋島元茂無心善悪を超える本質を突く

この一句を、あなたの毎日に。

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