葉隠 / 聞書第二
佞人出頭の時か、又上に惡事ある時、多分構ひなき者迄も氣すさびして欠伸氣色になり、奉公に精を出さず、沙汰許判ばかりするものなり。斯様の時、第一口を愼むべし。玆に眼の着け所あり。左様に致し候時は、殿は何となるべきや。斯様に仕にくき時とこそ、一入精を出して、よき様に致し上げ申す筈なり。古き家は佞人出來候ても、上に惡事何程ありても、十年より内に崩る〜ものにてなし。二十年も續き候はゞ危き事もあるべし。こ〜を呑込みて、左様の時分、十年より内に仕直して御家を抱留めて上げ申すべしと存ずべき事なり。身にか〜らぬ者迄も、早氣草臥して宜しからざる事と、そ〜めき廻り、御家中籠になり、うそ〜け候故、世上へも淺聞え、十年より内にも崩る〜なり。惡事は内輪から多分言崩すものなり。すべて人の上の惡事を憎まぬがよきなり。いらぬ所に敵を持ち、害になる事あり。惡人も此方を賴むやうにして、折を以てよきやうに仕なして遣はすべき事なりと。
新字:佞人出頭の時か、又上に悪事ある時、多分構ひなき者迄も気すさびして欠伸気色になり、奉公に精を出さず、沙汰許判ばかりするものなり。斯様の時、第一口を慎むべし。玆に眼の着け所あり。左様に致し候時は、殿は何となるべきや。斯様に仕にくき時とこそ、一入精を出して、よき様に致し上げ申す筈なり。古き家は佞人出来候ても、上に悪事何程ありても、十年より内に崩る〜ものにてなし。二十年も続き候はゞ危き事もあるべし。こ〜を呑込みて、左様の時分、十年より内に仕直して御家を抱留めて上げ申すべしと存ずべき事なり。身にか〜らぬ者迄も、早気草臥して宜しからざる事と、そ〜めき廻り、御家中籠になり、うそ〜け候故、世上へも浅聞え、十年より内にも崩る〜なり。悪事は内輪から多分言崩すものなり。すべて人の上の悪事を憎まぬがよきなり。いらぬ所に敵を持ち、害になる事あり。悪人も此方を頼むやうにして、折を以てよきやうに仕なして遣はすべき事なりと。
書き下し
佞人(ねいじん)出頭の時か、又上に悪事ある時、多分構いなき者までも気すさびして欠伸(あくび)気色になり、奉公に精を出さず、沙汰許判(さたきょはん)ばかりするものなり。斯様の時、第一口を慎むべし。玆(ここ)に眼の着け所あり。左様に致し候時は、殿は何となるべきや。斯様に仕にくき時とこそ、一入(ひとしお)精を出して、よき様にいたし上げ申す筈なり。古き家は佞人出来候ても、上に悪事何程ありても、十年より内に崩るるものにてなし。二十年も続き候わば危き事もあるべし。ここを呑込みて、左様の時分、十年より内に仕直して御家を抱(かか)え留めて上げ申すべしと存ずべき事なり。身にかからぬ者までも、早気草臥(くたび)れて宜しからざる事と、そそめき廻り、御家中籠(こも)りになり、うそうそけ候故、世上へも浅聞え、十年より内にも崩るるなり。悪事は内輪から多分言崩すものなり。すべて人の上の悪事を憎まぬがよきなり。いらぬ所に敵を持ち、害になる事あり。悪人もこの方を頼むようにして、折を以てよきように仕なして遣わすべき事なりと。
現代語訳
おもねる佞人が幅を利かせているときや、上に不正があるとき、たいていは関係のない者までも気がすさんで、あくびが出るように気だるくなり、奉公に身が入らず、あれこれ批判するばかりになるものだ。こういうときこそ、まず口を慎むべきだ。ここに目のつけどころがある。皆がそんな調子でいたら、殿はどうなってしまうか。こういう務めにくいときにこそ、一段と精を出して、良い方へ持っていって差し上げるべきなのだ。由緒ある古い家は、佞人が出ても、上にどれほど不正があっても、十年やそこらでは崩れないものだ。二十年も続けば危うくなることもあろう。そこを呑み込んで、そんなときは十年のうちに立て直し、御家を支え留めて差し上げようと心得るべきだ。ところが、当事者でもない者まで、早々にくたびれて「けしからん」とそわそわ騒ぎ立て、家中は引きこもりがちになり、うろたえるので、世間にもみっともなさが漏れ聞こえ、十年のうちにも崩れてしまう。不正というものは、たいてい内輪から言い崩すものだ。総じて、人の上の悪事を憎みすぎない方がよい。いらぬところに敵を作って、害になることがある。悪人でさえも、こちらを頼りにするように仕向けて、折を見て良い方へ導いてやるべきなのだ、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
葉隠・聞書第二佞悪の者の仕方は、人の上(うえ)の非を見出し聞き出して、語り広げ慰むなり。「何某(なにがし)こそ斯様(かよう)の悪事故、御究(おきわ)めにも逢い、閉門蟄居(へいもんちっきょ)仕り候。」などと、無き事までも言いはやかし、世上(せじょう)普(あまね)く取沙汰させて其の者の耳に入れ、さては此の事顕れ候と存じ、まず病気分(びょうきぶん)にて引入り候時、「我が身に悪事ある故、手前から引取りたり。」と、歴々(れきれき)の耳にも入れ、止む事なく悪事になる様に仕なすものなり。此の手を知らで、うろたうる者を笑い、悪事になして面白がり、又我が身のための工みにも仕るものにて候。度々ありし事なり。広き御家中なれば、斯様の佞悪の者、いつの世にもあるものなり。覚悟すべき事なり。
-
葉隠・聞書第二御位牌(ごいはい)釈迦堂より御移しなされ候を、何某(なにがし)見附け候て、申し達すべきやと、相談申され候に付て、「尤もの事に候。斯様(かよう)の儀は御無用に候。然れども仰せ達せらるる儀は御存じ寄り候人、今時、御手前ならではこれなき事に候。斯様の儀は御存じ寄り候て、申し達すべきやと、相談申され、御手前御外聞(ごがいぶん)よくなり申す事に候。若し相済まざる時は、いよいよ宜しからざる儀と取沙汰仕り、御手前御外聞ばかりよく候。悪事は我が身にかぶり申すこそ当介(とうかい)にて候。今の如くして先づ召し置かれ候時は、誰ぞ気の附き申す者もこれなく、何の沙汰もなく相済み申す事に候。さ候て、何時ぞ、時節次第沙汰なしに、元の如く御直り候様に致す様これあるべく候。」と申し候て、差し留め置き申し候。斯様の事にて、上の御不調法、世間に知れ申す事これある儀に候。心を附け罷り在り候へば、しかと、よき時節がふり来るものに候。大方、悪事は内輪から言い崩すもの、親子兄弟入魂(じっこん)の間などは格別と存じ、隠密沙汰なしなどと申し候て話し候へば、やがてひろがり、後に自国他国日本国に洩れ聞え申す事、間もなきものに候。又下人あたり其の外、内証(ないしょう)にて仕方悪しき人は、やがて世上に悪名唱え申し候。内輪ほど慎み申すべき事なり。
-
葉隠・聞書第二邪智(じゃち)深き者ある時は、主人をだまし込み、我が立身の才覚のみいたし候。主の気に入る筋を考え覚えたる者は、少々にて邪(じゃ)の所見えぬものなり。よくよく見にくき物なれ共、権現様(ごんげんさま)を弥四郎(やしろう)はだましぬき申し候。斯様(かよう)の者は、多分新参成上(しんざんなりあが)りにあるものなり。
-
葉隠・聞書第二気を附け申すべきなり。世上当時(とうじ)の差合(さしあ)いになりそうなる事を言わぬものなり。何かと、むつかしき事などこれある時は、皆人(みなひと)浮き立ちて覚え知らずに、その事のみ沙汰(さた)する事あり。無用の事なり。わろくすれば、口引張(くちひっぱ)りになるか、さなくても、口故に入らざる事に敵を持ち、遺恨出来るなり。左様(さよう)の時は他出(たしゅつ)を止め、歌など案じて居たるがよく候由。
-
葉隠・聞書第二内気に陽気なる御主人は、随分褒め候て、御用に落度なきように調えて上げ申す筈なり。斯くの如くの御気を育て申す所なり。さて又、御気位勝ち御発明なる御主人は、ちと、「御心置かれ候よう」と何とか存ずべしと思召さるるものになり候事、大忠節なり。斯様の者一人もこれなき時は、御家中御見(おんみ)となし、皆手揉みと思召され、御高慢にて打崩し候なり。何程善事をなし候ても、高慢にて上下によらず、無きものなり。右、求馬(もとめ)、吉右衛門などは確かに見知らせ申して置きたる者共なり。吉右衛門は病中にも隠居後も、事により御相談なされ候由に候。成りにくき事とばかり存ずる故成らず候。有難き御事に候。覚えある事に候。一国一人の重宝なれば、成り度く思わぬは腑甲斐なき事なり。先ず仕寄(しよせ)は大かたの人見附かぬ所なり。此処が大事なり。その後少しずつ、ずめかせ申して置くまでなりと。
-
葉隠・聞書第一或人(あるひと)覚悟の体(てい)覚書に、主君の身辺(しんぺん)勤むる者は別けて身持(みもち)覚悟慎むべきことなり。御側(おそば)の者の様子を見て、主人のたけを人が積(つも)るものなり。今は御機嫌悪し、序(つい)でになどと思うて居る内に、不図(ふと)御誤(おんあやまり)もあるべきことなり。又諫言(かんげん)は時を移さず申し上ぐべきことなり。仰せ出(いで)済みて後も、其の者に理を附け、少しづつもよき様に云いなせば、帰参(きさん)も早きものなり。又仕合せ(しあわせ)よき人には、無音(ぶいん)しても苦しからず、侍の義理なり。又科人(とがにん)をわろく云うは不義理の事なり。落ちぶれたる者には随分不憫(ふびん)を加え、何とぞ立ち直す様に致すべきこと、侍の義理なりと、これあり候。