葉隠 / 聞書第二
佞惡の者の仕方は、人の上の非を見出し聞き出して、語り廣げ慰むなり。「何某こそ斯樣の惡事故、御究めにも逢ひ、閉門蟄居仕り候。」などと、無き事までも言ひはやかし、世上普く取沙汰させて其の者の耳に入れ、さては此の事顯れ候と存じ、まづ病氣分にて引入り候時、「我が身に惡事ある故、手前から引取りたり。歷々の耳にも入れ、止む事なく惡事になる樣に仕なすものなり。此の手を知らで、うろたふる者を笑ひ、惡事になして面白がり、又我が身のための工みにも仕るものにて候。度々ありし事なり。廣き御家中なれば、斯樣の佞惡の者、いつの世にもあるものなり。覺悟すべき事なり。
新字:佞悪の者の仕方は、人の上の非を見出し聞き出して、語り広げ慰むなり。「何某こそ斯様の悪事故、御究めにも逢ひ、閉門蟄居仕り候。」などと、無き事までも言ひはやかし、世上普く取沙汰させて其の者の耳に入れ、さては此の事顕れ候と存じ、まづ病気分にて引入り候時、「我が身に悪事ある故、手前から引取りたり。歴々の耳にも入れ、止む事なく悪事になる様に仕なすものなり。此の手を知らで、うろたふる者を笑ひ、悪事になして面白がり、又我が身のための工みにも仕るものにて候。度々ありし事なり。広き御家中なれば、斯様の佞悪の者、いつの世にもあるものなり。覚悟すべき事なり。
書き下し
佞悪の者の仕方は、人の上(うえ)の非を見出し聞き出して、語り広げ慰むなり。「何某(なにがし)こそ斯様(かよう)の悪事故、御究(おきわ)めにも逢い、閉門蟄居(へいもんちっきょ)仕り候。」などと、無き事までも言いはやかし、世上(せじょう)普(あまね)く取沙汰させて其の者の耳に入れ、さては此の事顕れ候と存じ、まず病気分(びょうきぶん)にて引入り候時、「我が身に悪事ある故、手前から引取りたり。」と、歴々(れきれき)の耳にも入れ、止む事なく悪事になる様に仕なすものなり。此の手を知らで、うろたうる者を笑い、悪事になして面白がり、又我が身のための工みにも仕るものにて候。度々ありし事なり。広き御家中なれば、斯様の佞悪の者、いつの世にもあるものなり。覚悟すべき事なり。
現代語訳
口先が巧みで心のねじけた者は、人の欠点を言い触らして陥れ、それを楽しむものだ。皆、心得ておくべきである。こうした者のやり口は、人の過失を見つけ聞き出しては、言い広めて面白がるというものだ。「誰それはこういう悪事のせいで、お咎めを受けて閉門蟄居になった」などと、ありもしないことまで言い立て、世間にあまねく噂させて当人の耳に入れる。すると当人は、これは事が露見したと思い込み、まず病気のふりをして引きこもる。そのとき「あの者は身に悪事があるから、自分から身を引いたのだ」と有力者の耳にも入れ、放っておけば本当に悪事になるように仕向けるのだ。この手口を知らずにうろたえる者を笑い、無実を悪事に仕立てて面白がり、また自分の利のための策略にも使う。たびたびあったことだ。広い家中には、このような佞悪の者がいつの世にもいるものだ。心得ておくべきである。
解説
この章句が説くこと
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葉隠・聞書第二佞人(ねいじん)出頭の時か、又上に悪事ある時、多分構いなき者までも気すさびして欠伸(あくび)気色になり、奉公に精を出さず、沙汰許判(さたきょはん)ばかりするものなり。斯様の時、第一口を慎むべし。玆(ここ)に眼の着け所あり。左様に致し候時は、殿は何となるべきや。斯様に仕にくき時とこそ、一入(ひとしお)精を出して、よき様にいたし上げ申す筈なり。古き家は佞人出来候ても、上に悪事何程ありても、十年より内に崩るるものにてなし。二十年も続き候わば危き事もあるべし。ここを呑込みて、左様の時分、十年より内に仕直して御家を抱(かか)え留めて上げ申すべしと存ずべき事なり。身にかからぬ者までも、早気草臥(くたび)れて宜しからざる事と、そそめき廻り、御家中籠(こも)りになり、うそうそけ候故、世上へも浅聞え、十年より内にも崩るるなり。悪事は内輪から多分言崩すものなり。すべて人の上の悪事を憎まぬがよきなり。いらぬ所に敵を持ち、害になる事あり。悪人もこの方を頼むようにして、折を以てよきように仕なして遣わすべき事なりと。
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葉隠・聞書第二邪智(じゃち)深き者ある時は、主人をだまし込み、我が立身の才覚のみいたし候。主の気に入る筋を考え覚えたる者は、少々にて邪(じゃ)の所見えぬものなり。よくよく見にくき物なれ共、権現様(ごんげんさま)を弥四郎(やしろう)はだましぬき申し候。斯様(かよう)の者は、多分新参成上(しんざんなりあが)りにあるものなり。
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葉隠・聞書第二気を附け申すべきなり。世上当時(とうじ)の差合(さしあ)いになりそうなる事を言わぬものなり。何かと、むつかしき事などこれある時は、皆人(みなひと)浮き立ちて覚え知らずに、その事のみ沙汰(さた)する事あり。無用の事なり。わろくすれば、口引張(くちひっぱ)りになるか、さなくても、口故に入らざる事に敵を持ち、遺恨出来るなり。左様(さよう)の時は他出(たしゅつ)を止め、歌など案じて居たるがよく候由。
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葉隠・聞書第二さもなきことを、念を入れて委(くわ)しく語る人には、多分(たぶん)其の裏に、申し分(もうしぶん)があるものなり。それを紛(まぎ)らかし隠さん為(ため)に、何となく繰立(くりた)てて語る事なり。それは、聞くと胸に不審(ふしん)が立つものなり。
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葉隠・聞書第二御位牌(ごいはい)釈迦堂より御移しなされ候を、何某(なにがし)見附け候て、申し達すべきやと、相談申され候に付て、「尤もの事に候。斯様(かよう)の儀は御無用に候。然れども仰せ達せらるる儀は御存じ寄り候人、今時、御手前ならではこれなき事に候。斯様の儀は御存じ寄り候て、申し達すべきやと、相談申され、御手前御外聞(ごがいぶん)よくなり申す事に候。若し相済まざる時は、いよいよ宜しからざる儀と取沙汰仕り、御手前御外聞ばかりよく候。悪事は我が身にかぶり申すこそ当介(とうかい)にて候。今の如くして先づ召し置かれ候時は、誰ぞ気の附き申す者もこれなく、何の沙汰もなく相済み申す事に候。さ候て、何時ぞ、時節次第沙汰なしに、元の如く御直り候様に致す様これあるべく候。」と申し候て、差し留め置き申し候。斯様の事にて、上の御不調法、世間に知れ申す事これある儀に候。心を附け罷り在り候へば、しかと、よき時節がふり来るものに候。大方、悪事は内輪から言い崩すもの、親子兄弟入魂(じっこん)の間などは格別と存じ、隠密沙汰なしなどと申し候て話し候へば、やがてひろがり、後に自国他国日本国に洩れ聞え申す事、間もなきものに候。又下人あたり其の外、内証(ないしょう)にて仕方悪しき人は、やがて世上に悪名唱え申し候。内輪ほど慎み申すべき事なり。
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葉隠・聞書第二恩を受けたる人、懇意の人、味方の人には、たとひ悪事ありとも潜(ひそ)かに意見いたし、世間にはよき様に取成(とりな)し、悪名を云ひふさぎ、誉め立て、無二の味方、一騎当千になり、内にてよく受け候様に意見すれば、疵(きず)も直り、よき者になるなり。誉め立て候へば、よくなさねば置かぬ念願なりと。