葉隠 / 聞書第二
「大儀ながら御國を荷うて上げ候へ。」この一言が忘れられぬ 若年の時分、一鼎申され候は、「其方は末頼もしき器量にて候ふ。大儀ながら御國を荷なうて上げ候へ。」と涙を出し、申し聞かされ候。その時不圖胸にこたへ、この一言が荷になり、今に於て忘れ申さず候。斯様の詞始めて承り候。今時はやらぬ事にて候。人に敎訓するも、身持心持、嗜みよく奉公仕り候へと申すが一ぱいなり。これは我が身の歎きまでなり。いかい行違なり。斯様の一言、最早云ふ人もあるまじ。歎はしき事の由。
新字:「大儀ながら御国を荷うて上げ候へ。」この一言が忘れられぬ 若年の時分、一鼎申され候は、「其方は末頼もしき器量にて候ふ。大儀ながら御国を荷なうて上げ候へ。」と涙を出し、申し聞かされ候。その時不図胸にこたへ、この一言が荷になり、今に於て忘れ申さず候。斯様の詞始めて承り候。今時はやらぬ事にて候。人に敎訓するも、身持心持、嗜みよく奉公仕り候へと申すが一ぱいなり。これは我が身の歎きまでなり。いかい行違なり。斯様の一言、最早云ふ人もあるまじ。歎はしき事の由。
書き下し
「大儀ながら御国を荷(にな)うて上げ候へ。」この一言が忘れられぬ。若年の時分、一鼎(いってい)申され候は、「其方(そなた)は末頼もしき器量にて候。大儀ながら御国を荷なうて上げ候へ。」と涙を出し、申し聞かされ候。その時不図(ふと)胸にこたえ、この一言が荷になり、今に於て忘れ申さず候。斯様(かよう)の詞(ことば)始めて承り候。今時はやらぬ事にて候。人に教訓するも、身持心持(みもちこころもち)、嗜(たしな)みよく奉公仕り候へと申すが一ぱいなり。これは我が身の歎きまでなり。いかい行違(ゆきちが)いなり。斯様の一言、最早(もはや)云う人もあるまじ。歎かわしき事の由。
現代語訳
「大儀であろうが、御国を背負って立ってくれ」。この一言が忘れられない。若い頃、師の一鼎が「そなたは将来頼もしい器量の持ち主だ。苦労であろうが、御国を背負って立ってくれ」と涙を流して言い聞かせてくださった。その時ふと胸にこたえ、この一言が我が身の担う荷となって、今も忘れられずにいる。こんな言葉を聞いたのは初めてだった。今の世では流行らないことだ。人に教訓を垂れるといっても、せいぜい「身の持ち方・心構えをよくし、たしなみ深く奉公せよ」と言うのが精一杯である。これでは我が身の嘆きを言うにとどまる。大きな食い違いだ。こうした一言を、もはや言う人もいないだろう。嘆かわしいことである。