師導古典を学びたいすべての人に

葉隠 / 聞書第二

意地は刀の樣な物、研ぎすまして鞘に納め置き、時々出して見よ或人云ふ、意地は内にあると外にあるとの二つなり。外にも内にもなきものは役に立たず。たとへば刀の身の如く、切れ物を研ぎはしらかして鞘に納めて置き、自然には拔きて眉毛にかけ、拭いて納むるがよし。外にばかりありて、白双を不斷振廻はす者には人が寄り附かず、一味の者無きものなり。内にばかり納め置き候へば、錆も附き双も鈍り、人が思ひとなすものなりと。

新字:意地は刀の様な物、研ぎすまして鞘に納め置き、時々出して見よ或人云ふ、意地は内にあると外にあるとの二つなり。外にも内にもなきものは役に立たず。たとへば刀の身の如く、切れ物を研ぎはしらかして鞘に納めて置き、自然には抜きて眉毛にかけ、拭いて納むるがよし。外にばかりありて、白双を不断振廻はす者には人が寄り附かず、一味の者無きものなり。内にばかり納め置き候へば、錆も附き双も鈍り、人が思ひとなすものなりと。

書き下し

或人(あるひと)云ふ、意地(いじ)は内にあると外にあるとの二つなり。外にも内にもなきものは役に立たず。たとへば刀(かたな)の身の如く、切れ物を研(と)ぎはしらかして鞘(さや)に納めて置き、自然(じねん)には抜きて眉毛(まゆげ)にかけ、拭(ぬぐ)いて納むるがよし。外にばかりありて、白双(しらは)を不断(ふだん)振廻(ふりまわ)す者には人が寄り附かず、一味(いちみ)の者無きものなり。内にばかり納め置き候へば、錆(さび)も附き双(は)も鈍(にぶ)り、人が思ひとなすものなりと。

現代語訳

ある人が言うには、意地には内にあるものと外にあるものの二つがある。外にも内にもないような者は役に立たない。たとえば刀の身のように、よく研ぎ澄まして鞘に納めておき、時おり抜いては眉毛の上にかざして具合を確かめ、拭ってまた納めるのがよい。外にばかり出して、抜き身をふだんから振り回しているような者には人が寄りつかず、味方になる者もいなくなる。かといって内にばかりしまい込んでおけば、錆がつき刃も鈍って、人からあなどられるものだ、という。

解説

「意地」すなわち気概の持ち方を、刀に喩えて説いた見事な一条です。刀はよく研いで鞘に納めておくもの。ふだんは見せず、時おり抜いて手入れし、また納める——気概もこれと同じだといいます。抜き身を振り回すように、いつも意地を剥き出しにしていれば人は離れ、味方を失う。逆に内にしまい込んで一度も使わなければ、錆びついて鈍り、あなどられてしまう。要は、確かな気概を内に鍛えつつ、めったに抜かず、しかし必要なときには鋭く使えるよう保て、ということです。強さの見せ方・しまい方のバランスを説くこの比喩は、感情や主張の御し方として現代にも鮮やかに通じます。

この章句が説くこと

葉隠意地気概刀の比喩自制バランス

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる