葉隠 / 聞書第二
惠芳和尚話に、安藝殿物語に武邊は氣違にならねばされぬものなりと、御申し候。我等覺悟に合ひ候。儀不思議に存じ、その後いよいよ氣違に極め候となり。
新字:恵芳和尚話に、安芸殿物語に武辺は気違にならねばされぬものなりと、御申し候。我等覚悟に合ひ候。儀不思議に存じ、その後いよいよ気違に極め候となり。
書き下し
恵芳和尚話に、安芸殿物語に、武辺(ぶへん)は気違(きちが)いにならねばされぬものなりと、御申し候。我等覚悟に合い候。儀(ぎ)不思議に存じ、その後いよいよ気違いに極め候となり。
現代語訳
恵芳和尚が、鍋島安芸の「武辺は狂気にならねばできぬ」という言葉を仏道に当てはめた話である。恵芳和尚の話に、安芸殿の物語として、武辺の道は気が狂うほどの一途さにならなければ成し遂げられないものだ、と言われた。これは自分の覚悟と一致する。その道理を不思議に思い、その後ますます、狂気に徹する覚悟を固めたということだ。
解説
「武辺は気違いにならねばされぬ」――武の道を極めるには、常識や損得勘定を超えた、狂気とも見えるほどの一途さが要る、という言葉です。恵芳和尚はこれを仏道修行にも通じると受け止め、常朝もわが覚悟に重ねます。何かを本当に成し遂げる者は、傍目には常軌を逸して見えるほど一つのことに打ち込む、という洞察がここにあります。現代でも、突き抜けた成果の背後には常識を超えた没入があるものです。ただし「気違い」という語や、死をも辞さぬ武辺の覚悟は現代の価値観とは隔たりがあり、ここでは「常識を超えた一途な打ち込み」の比喩として受け取るのが適切でしょう。
この章句が説くこと
葉隠一途さ覚悟武辺没入武士道
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