師導古典を学びたいすべての人に

葉隠 / 聞書第二

訪問は通じてから行くがよい、長座の客にも不會釋すな何方へ話などに行くには、前方申し通じてより行きたるがよし。何分の隙入有るべきも知れず、亭主の心懸りの所へ行きては無興のものなり。すべて呼ばれねば、行かぬに如くはなし。心の友は稀なるものなり。呼ばれても、心持入るべし。稀の參會ならでは、たまたま隙入るとも不會釋すまじきものなり。

新字:訪問は通じてから行くがよい、長座の客にも不会釈すな何方へ話などに行くには、前方申し通じてより行きたるがよし。何分の隙入有るべきも知れず、亭主の心懸りの所へ行きては無興のものなり。すべて呼ばれねば、行かぬに如くはなし。心の友は稀なるものなり。呼ばれても、心持入るべし。稀の参会ならでは、たまたま隙入るとも不会釈すまじきものなり。

書き下し

訪問は通じてから行くがよい、長座(ちょうざ)の客にも不会釈(ふえしゃく)すな。何方(いずかた)へ話などに行くには、前方(ぜんぽう)申し通じてより行きたるがよし。何分(なにぶん)の隙入(ひまい)り有るべきも知れず、亭主の心懸(こころがか)りの所へ行きては無興(ぶきょう)のものなり。すべて呼ばれねば、行かぬに如(し)くはなし。心の友は稀(まれ)なるものなり。呼ばれても、心持(こころもち)入るべし。稀の参会(さんかい)ならでは、たまたま隙入るとも不会釈すまじきものなり。

現代語訳

訪問は前もって連絡を通してから行くのがよい。長居する客にも無愛想にしてはならない。どこかへ話などをしに行くときは、先方に連絡を入れてから行くのがよい。何かと相手にも用事があるかもしれず、気がかりを抱えた相手のもとへ行っては興ざめである。おおよそ、招かれないのなら行かないに越したことはない。心を許せる友は稀なものだ。招かれて行っても、心遣いをすべきだ。めったにない集まりなのだから、たまたま相手に用事ができても、無愛想な顔をしてはならないのである。

解説

訪問は必ず前もって連絡してから行き、招かれもしないのに押しかけない、という交際の作法です。相手にも都合があり、気がかりを抱えているところへ突然行っては興ざめになる。一方で、せっかく招かれて集まったなら、途中で相手に用事ができても無愛想な顔をしてはならない、と説きます。相手の都合を尊重する慎みと、共に過ごす場を大切にする温かさ、その両面を求めているのが特徴です。「心を許せる友は稀」という一言には、人間関係を大切に扱う心根がにじみます。現代でもアポイントを取ってから訪ねる配慮や、せっかくの機会を無愛想で台無しにしない態度は、良い関係を保つ基本といえます。

この章句が説くこと

葉隠訪問作法アポイント気配り交際

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる