葉隠 / 聞書第二
只仕舞口が大事にて候。一生も斯くの如くにてあるべく候。客人歸り候時分など、名殘盡きぬ心持肝要なり。さなく候へば、早飽きて居たる樣にて、終日終夜の話も無になるなり。すべて人の交りは、飽く心の出來ぬが肝要なり。何時もく珍らしき樣にすべきなり。これは少しの心得にて替るものとなり。
新字:只仕舞口が大事にて候。一生も斯くの如くにてあるべく候。客人帰り候時分など、名残尽きぬ心持肝要なり。さなく候へば、早飽きて居たる様にて、終日終夜の話も無になるなり。すべて人の交りは、飽く心の出来ぬが肝要なり。何時もく珍らしき様にすべきなり。これは少しの心得にて替るものとなり。
書き下し
只(ただ)仕舞口(しまいぐち)が大事にて候。一生も斯(か)くの如くにてあるべく候。客人帰り候時分など、名残(なごり)尽きぬ心持肝要なり。さなく候えば、早(はや)飽きて居たる様(よう)にて、終日終夜(しゅうじつしゅうや)の話も無になるなり。すべて人の交(まじ)りは、飽く心の出来ぬが肝要なり。何時(いつ)も珍(めずら)しき様にすべきなり。これは少しの心得にて替(かわ)るものとなり。
現代語訳
ただ「仕舞口(終わり際)」が大事だ。一生も同じようであるべきだ。客が帰る時分などは、名残が尽きない心持ちが肝要だ。そうでないと、早くも飽きてしまったように見えて、一日中一晩中語り合った話も無駄になってしまう。すべて人付き合いは、飽きる心が出ないことが肝要だ。いつも珍しく新鮮であるようにすべきだ。これはちょっとした心得で変わるものだ。
解説
物事の「終わり際(仕舞口)」こそ大事だと説く、人間関係の機微に触れた一条です。どれほど親密に語り合っても、客が帰る間際に飽きた様子を見せれば、それまでの時間すべてが台無しになる。逆に最後まで名残を惜しむ心を保てば、関係は良い余韻を残す。要は「飽きる心を出さず、いつも相手を新鮮に思う」こと。これは大きな覚悟ではなく、ほんの少しの心得で変わる、と常朝は言います。現代でも、別れ際の一言や会の締めくくりが印象を決めることは多い。終わりを丁寧に扱う姿勢が、人との縁を長く豊かに保つという実践的な知恵です。
この章句が説くこと
葉隠仕舞口終わり際人間関係名残余韻
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