葉隠 / 聞書第二
夢の世とは、よき見立なり。惡夢など見たる時、早や覺めよかしと思ひ、夢にてあれかしなどと思ふ事あり。今日もそれに少しも違はぬなりと。
新字:夢の世とは、よき見立なり。悪夢など見たる時、早や覚めよかしと思ひ、夢にてあれかしなどと思ふ事あり。今日もそれに少しも違はぬなりと。
書き下し
夢の世とは、よき見立なり。悪夢など見たる時、早や覚めよかしと思い、夢にてあれかしなどと思う事あり。今日もそれに少しも違わぬなりと。
現代語訳
この世を夢にたとえるのは、実にうまい見立てである。悪い夢を見たとき、早く覚めてほしい、これが夢であってほしいと思うことがある。今日という現実も、それと少しも変わらないのだ、ということである。
解説
人生を夢にたとえた、無常観のにじむ静かな条です。核心は「この世のつらさも、悪夢のように過ぎゆくもの」という達観にあります。悪夢を見れば早く覚めたいと願うように、現実の苦しみもまた、いつかは過ぎ去る一場の夢のようなものだと受け止める。人生の儚さを嘆くのではなく、だからこそ執着を手放し、今を軽やかに生きる心の余裕として説いています。現代にも救いのある視点です。つらい状況の渦中では出口が見えませんが、それもやがて過ぎゆくと捉え直せば、心が少し楽になります。苦しみを絶対視せず、距離を置いて眺める。人生の重荷を軽くする、しなやかな知恵です。
この章句が説くこと
葉隠無常観人生観夢の世執着を手放す達観
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