葉隠 / 聞書第二
正德三年十二月二十八日夜夢の事。志強く成り候程、夢中の樣子段々變り申し候。有體の例しは夢にて候。夢を相手にして、精を出し候がよしとなり。
新字:正徳三年十二月二十八日夜夢の事。志強く成り候程、夢中の様子段々変り申し候。有体の例しは夢にて候。夢を相手にして、精を出し候がよしとなり。
書き下し
正徳三年十二月二十八日夜、夢の事。志強く成り候程、夢中の様子段々変り申し候。有体(ありてい)の例(ため)しは夢にて候。夢を相手にして、精を出し候がよしとなり。
現代語訳
正徳三年十二月二十八日の夜、夢について。志が強くなるにつれて、夢の中の様子もしだいに変わっていくものだ。その人のありのままの実態が試されるのが夢である。だから夢を相手取って、そこでも精を出すのがよい、という。
解説
志が高まるにつれて、見る夢の内容までも変わってくる、という興味深い観察を記した条です。夢には、その人のありのままの心の状態が正直に現れる。だから起きているときだけでなく、夢の中でも精進せよ、というのです。志や覚悟が本物なら、無意識の領域である夢にまで及ぶという発想は、自己修養の徹底ぶりを示しています。現代の心理学でも、夢は日中の関心や情動を反映するとされ、この観察には通じるものがあります。うわべだけ取り繕っても、心の底までは偽れない。だからこそ日頃の志を本物に鍛えよ、という自己陶冶の教えとして読めます。
この章句が説くこと
葉隠志自己修養夢無意識精進
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