葉隠 / 聞書第二
正德三年十二月二十八日夜夢の事。志強く成り候程、夢中の樣子段々變り申し候。有體の例しは夢にて候。夢を相手にして、精を出し候がよしとなり。
新字:正徳三年十二月二十八日夜夢の事。志強く成り候程、夢中の様子段々変り申し候。有体の例しは夢にて候。夢を相手にして、精を出し候がよしとなり。
書き下し
正徳三年十二月二十八日夜、夢の事。志強く成り候程、夢中の様子段々変り申し候。有体(ありてい)の例(ため)しは夢にて候。夢を相手にして、精を出し候がよしとなり。
現代語訳
正徳三年十二月二十八日の夜、夢について。志が強くなるにつれて、夢の中の様子もしだいに変わっていくものだ。その人のありのままの実態が試されるのが夢である。だから夢を相手取って、そこでも精を出すのがよい、という。
解説
志が高まるにつれて、見る夢の内容までも変わってくる、という興味深い観察を記した条です。夢には、その人のありのままの心の状態が正直に現れる。だから起きているときだけでなく、夢の中でも精進せよ、というのです。志や覚悟が本物なら、無意識の領域である夢にまで及ぶという発想は、自己修養の徹底ぶりを示しています。現代の心理学でも、夢は日中の関心や情動を反映するとされ、この観察には通じるものがあります。うわべだけ取り繕っても、心の底までは偽れない。だからこそ日頃の志を本物に鍛えよ、という自己陶冶の教えとして読めます。
この章句が説くこと
葉隠志自己修養夢無意識精進
関連する章句
-
孟子・盡心章句上公孫丑曰く、「伊尹曰く、『予、不順に狎れしめず。』太甲を桐に放ち、民大いに悅ぶ。太甲賢となる。又之を反し、民大いに悅ぶ。賢者の人臣為るや、其の君、賢ならざれば、則ち固より放つ可きか。」孟子曰く、「伊尹の志有れば、則ち可なり。伊尹の志無ければ、則ち篡うなり。」
-
荀子・大略篇公行子之(こうこうしし)、燕(えん)に之(ゆ)き、曾元(そうげん)に塗(みち)に遇(あ)ひて曰く、「燕君(えんくん)は何如(いかん)」と。曾元曰く、「志(こころざし)卑(ひく)し。志卑き者は物を軽んじ、物を軽んずる者は助けを求めず。苟(いやしく)も助けを求めずんば、何ぞ能(よ)く挙(あ)がらん。氐羌(ていきょう)の虜(とりこ)たるや、其の係累(けいるい)せらるるを憂へずして、其の焚(や)かれざるを憂ふ。夫(か)の秋毫(しゅうごう)を利として、国家を害(そこな)ひ靡(ほろぼ)す、然も且(か)つ之を為す、幾(あ)に知計(ちけい)を為すと為さんや」と。
-
論語・里仁篇子曰わく、いやしくも仁に志せば、悪しきこと無し。
-
史記 伯夷列伝子曰く、「道同じからざれば相ひ為に謀らず」と。亦た各々其の志に従ふなり。故に曰く、「富貴もし求む可くんば、執鞭の士と雖も、吾も亦た之を為さん。如し求む可からずんば、吾が好む所に従はん」と。「歳寒くして、然る後に松柏の凋むに後るるを知る」。世を挙げて混濁して、清士乃ち見はる。豈に其の重んずること彼の若く、其の軽んずること此くの若くなるを以てせんや。
-
孟子・盡心章句下孟子曰く、「名を好むの人は、能く千乘の國を讓る。苟くも其の人に非ざれば、簞食豆羹も色に見わる。」
-
葉隠・聞書第一一度打向へば、最早(もはや)其の道に入りたるなり。名人も人なり、我も人なり、何しに劣るべきかと思ひて、一度志すところが即ち聖人なり。後(のち)に修行して聖人に成り給ふにはあらず。十有五にして学に志すとは、即ち聖人なり。初発心時(しょほっしんじ)辨成正覚(べんじょうしょうがく)ともこれあるなり。