葉隠 / 聞書第二
貴となく賤となく、老となく少となく、悟りても死に、迷ひても死に、さても死ぬ事かな。我人、死ぬと云ふ事知らぬではない。爰に奧の手あり。死ぬと知つては居るが、皆人死に果て〜から、我は終りに死ぬ事の樣に覺えて、今時分にてはなしと思うて居るなり。何もかも役に立たず、夢の中のたはぶれなり。斯樣に思ひて油斷してはならず。
新字:貴となく賤となく、老となく少となく、悟りても死に、迷ひても死に、さても死ぬ事かな。我人、死ぬと云ふ事知らぬではない。爰に奥の手あり。死ぬと知つては居るが、皆人死に果て〜から、我は終りに死ぬ事の様に覚えて、今時分にてはなしと思うて居るなり。何もかも役に立たず、夢の中のたはぶれなり。斯様に思ひて油断してはならず。
書き下し
貴(き)となく賤(せん)となく、老となく少(しょう)となく、悟りても死に、迷いても死に、さても死ぬ事かな。我人(われひと)、死ぬと言う事知らぬではない。ここに奥の手あり。死ぬと知っては居るが、皆人(みなひと)死に果ててから、我は終わりに死ぬ事の様に覚えて、今時分にてはなしと思うて居るなり。何もかも役に立たず、夢の中のたわぶれなり。斯様(かよう)に思いて油断してはならず。
現代語訳
身分の貴い者も賤しい者も、老いた者も若い者も、悟った者も迷う者も、みな等しく死ぬ。まったく、人は死ぬものだなあ。人は誰しも、自分が死ぬということを知らないわけではない。ここに落とし穴がある。死ぬと知ってはいても、他の皆がひととおり死んでしまってから、自分は最後に死ぬかのように思い込み、今すぐの話ではないと考えているのだ。それではすべてが役に立たず、夢の中の戯れも同然だ。このように油断していてはならない。
解説
死は誰にでも、いつでも足元に来るのに、人は「自分の死はまだ先」と根拠なく思い込む——その油断を鋭く突いた一条です。常朝は、死を知識としては皆知っていても、心のどこかで先送りにしている点にこそ落とし穴があると見抜きます。だからこそ今この時を役立てず、夢のように空しく過ごしてはならない、と戒めるのです。これは死を美化する言葉ではなく、限りある時間を今すぐ充実させよという生への促しです。現代でも「まだ先」という先送りが、大切なことを後回しにさせます。死を遠ざけず身近に意識することで、今日一日を無駄にせず精を出せる。死の自覚を、今を生きる力に転じる教えです。
この章句が説くこと
葉隠死は足許に来る油断死の自覚今を生きる先送り
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