葉隠 / 聞書第二
人間一生は、誠に纔の事なり。好いた事をして暮すべきなり。夢の間の世の中に、好かぬ事許りして、苦を見て暮すは愚なることなり。此の事は、わろく聞いては害になる事故、若き衆などに終に語らぬ奥の手なり。我は寢る事が好きなり。今の境界相應に、彌々禁足して、寢て暮すべしと思ふとなり。
新字:人間一生は、誠に纔の事なり。好いた事をして暮すべきなり。夢の間の世の中に、好かぬ事許りして、苦を見て暮すは愚なることなり。此の事は、わろく聞いては害になる事故、若き衆などに終に語らぬ奥の手なり。我は寝る事が好きなり。今の境界相応に、弥々禁足して、寝て暮すべしと思ふとなり。
書き下し
人間一生は、誠に纔(わずか)の事なり。好いた事をして暮すべきなり。夢の間の世の中に、好かぬ事ばかりして、苦を見て暮すは愚かなることなり。此の事は、わろく聞いては害になる事故(ゆえ)、若き衆などに終(つい)に語らぬ奥の手なり。我は寝る事が好きなり。今の境界(きょうがい)相応に、いよいよ禁足して、寝て暮すべしと思うとなり。
現代語訳
人間の一生は、まことにわずかなものだ。好きなことをして暮らすべきである。夢のようにはかない世の中で、好きでもないことばかりして苦しんで暮らすのは愚かなことだ。ただしこの言葉は、聞き違えると害になるので、若い者などには決して語らない奥の手である。私は寝ることが好きだ。今の隠居の身分にふさわしく、ますます引きこもって、寝て暮らそうと思う、ということだ。
解説
「人間一生、好いた事をして暮すべし」――一見すると気ままな享楽の勧めに聞こえますが、常朝はすぐに「聞き違えると害になる」と釘を刺します。これは奉公と覚悟に生涯を捧げた者が、隠居してなお至った境地であり、無責任な放縦ではありません。務めを尽くした果てに、限りある命を自分の好むところに沿って全うせよ、という含みです。だからこそ若い者には軽々に語れない「奥の手」なのです。現代にも通じる「限りある時間を何に使うか」という問いですが、その裏には勤めを果たしきった上でという前提があることを読み落としてはなりません。
この章句が説くこと
葉隠人生の有限好きに生きる隠居の境地奥の手武士道