葉隠 / 聞書第二
何某へ意見申し候は、「身持心入、今時の人に勝れ申され、結構の事に候。此の上、藝にて立上りたるところに眼を着けられ候へかし。今の分にては惜しき事に候。若し名人に成り御用に立ち候時、先祖以來の侍を立て迦し、藝者にならるゝ事に候。御國の侍は、藝は身を亡すと、兼々見立て候は此の處にて候。御無人の時節などにも召出されず候ても、一分の覺悟は、御用に立ちたる事なり。多分大事の時は、潛かに相談きたる者は、人が捨て置かぬものなり。それに指南申すは、尚々忠義なり。他事なきものなる故、少し立上りたる者は、器量響く仕様もあり、何和尚と豫て話しの由。彼の和尚は、皆人畏れて居るなり。明日にても、何事ぞ申され候を打崩し、せかせ候て上手の理にて云ひ伏せ、理詰仕らるべく候。諸人肝を潰し、云ひ傳へ云ひ傳へて、頓て沙汰するものなり。手の理が得方にて、鳴り廻るところを覺えたる人なり。少し精を入るれば慥に成るものなり。「それは稽古にて成るべきや。」と申され候故、「易きことなり、當念に氣を抜かさず、正念に着けられ候へかし。」と申し候。又十日の内に、國中に器量響くべきなり、上手の理を見出すまでなり。大犬をかみ伏せねば、響きなきものなり。大業がな申し候へば、「誠に利發なる和尚。」と申され候故、「左様に阻み申され候故、大業がならず、何のかうばしき事あるべきや。」誰にても、そくもやるまじきとかゝらねば、ほと手は延びず。又義經の勇智仁とのたまひしも、面白く候。今が世にも、四十歳より内は勇智仁なり。埋れ居り候衆は四十過ぎても勇智仁にてなくば響きあるまじく候。彼の和尚など、たつた勇智仁を以て鳴り廻り、名高く聞え候。又殿樣の御上、御家老、年寄衆などの上は、たとへ上手の理を見附け候ても、人に批判をせぬものなり。聞えぬ事にても御尤もと理を附けて、諸人思ひ附く樣に、褒め崇めて置くが忠義なり。人の不審いたす樣に仕成すは、勿體なきことなり。人の心は、移り易きものにて、一人褒むれば早やそれにかたぶき、一人譏れば惡ろく思ふものなり。又どことへ有り附き候樣にと何某申され候由、先年承り候ふ。左樣の時は日來の懇意愛想も盡きて、したたかに申したるがよく候事を、破れぬ樣に結構づくに取合ひ候へば、うさんに思はるゝものなり。斯樣の事に味方の人より轉ぜられ、引腐らかさるゝ事あるものなり。飢死んでも御家來の内なり。殿立て迦すことは佛神の勸めにも見向も仕らざる合黙にて、朽果て申さるべし。」と申し候由。
新字:何某へ意見申し候は、「身持心入、今時の人に勝れ申され、結構の事に候。此の上、芸にて立上りたるところに眼を着けられ候へかし。今の分にては惜しき事に候。若し名人に成り御用に立ち候時、先祖以来の侍を立て迦し、芸者にならるゝ事に候。御国の侍は、芸は身を亡すと、兼々見立て候は此の処にて候。御無人の時節などにも召出されず候ても、一分の覚悟は、御用に立ちたる事なり。多分大事の時は、潜かに相談きたる者は、人が捨て置かぬものなり。それに指南申すは、尚々忠義なり。他事なきものなる故、少し立上りたる者は、器量響く仕様もあり、何和尚と予て話しの由。彼の和尚は、皆人畏れて居るなり。明日にても、何事ぞ申され候を打崩し、せかせ候て上手の理にて云ひ伏せ、理詰仕らるべく候。諸人肝を潰し、云ひ伝へ云ひ伝へて、頓て沙汰するものなり。手の理が得方にて、鳴り廻るところを覚えたる人なり。少し精を入るれば慥に成るものなり。「それは稽古にて成るべきや。」と申され候故、「易きことなり、当念に気を抜かさず、正念に着けられ候へかし。」と申し候。又十日の内に、国中に器量響くべきなり、上手の理を見出すまでなり。大犬をかみ伏せねば、響きなきものなり。大業がな申し候へば、「誠に利発なる和尚。」と申され候故、「左様に阻み申され候故、大業がならず、何のかうばしき事あるべきや。」誰にても、そくもやるまじきとかゝらねば、ほと手は延びず。又義経の勇智仁とのたまひしも、面白く候。今が世にも、四十歳より内は勇智仁なり。埋れ居り候衆は四十過ぎても勇智仁にてなくば響きあるまじく候。彼の和尚など、たつた勇智仁を以て鳴り廻り、名高く聞え候。又殿様の御上、御家老、年寄衆などの上は、たとへ上手の理を見附け候ても、人に批判をせぬものなり。聞えぬ事にても御尤もと理を附けて、諸人思ひ附く様に、褒め崇めて置くが忠義なり。人の不審いたす様に仕成すは、勿体なきことなり。人の心は、移り易きものにて、一人褒むれば早やそれにかたぶき、一人譏れば悪ろく思ふものなり。又どことへ有り附き候様にと何某申され候由、先年承り候ふ。左様の時は日来の懇意愛想も尽きて、したたかに申したるがよく候事を、破れぬ様に結構づくに取合ひ候へば、うさんに思はるゝものなり。斯様の事に味方の人より転ぜられ、引腐らかさるゝ事あるものなり。飢死んでも御家来の内なり。殿立て迦すことは仏神の勧めにも見向も仕らざる合黙にて、朽果て申さるべし。」と申し候由。
書き下し
何某(なにがし)へ意見申し候は、「身持心入(みもちこころいれ)、今時の人に勝れ申され、結構の事に候。此の上、芸にて立ち上りたるところに眼を着けられ候へかし。今の分にては惜しき事に候。若し名人に成り御用に立ち候時、先祖以来の侍を立て通し、芸者にならるる事に候。御国の侍は、芸は身を亡すと、兼々(かねがね)見立て候は此の処にて候。御無人の時節などにも召し出されず候ても、一分(いちぶん)の覚悟は、御用に立ちたる事なり。多分大事の時は、潜(ひそ)かに相談きたる者は、人が捨て置かぬものなり。それに指南申すは、尚々(なおなお)忠義なり。他事なきものなる故、少し立ち上りたる者は、器量響く仕様もあり、何和尚(なにおしょう)と予て話しの由。彼の和尚は、皆人畏れて居るなり。明日にても、何事ぞ申され候を打ち崩し、せかせ候て上手(じょうず)の理にて云い伏せ、理詰(りづめ)仕らるべく候。諸人肝を潰し、云い伝え云い伝えて、頓(やが)て沙汰するものなり。手の理が得方(えかた)にて、鳴り廻るところを覚えたる人なり。少し精を入るれば慥(たし)かに成るものなり。「それは稽古にて成るべきや。」と申され候故、「易きことなり、当念に気を抜かさず、正念に着けられ候へかし。」と申し候。又十日の内に、国中に器量響くべきなり、上手の理を見出すまでなり。大犬をかみ伏せねば、響きなきものなり。大業(たいぎょう)がな申し候へば、「誠に利発なる和尚。」と申され候故、「左様に阻み申され候故、大業がならず、何のかうばしき事あるべきや。」誰にても、そくもやるまじきとかからねば、ほと手は延びず。又義経の勇智仁とのたまいしも、面白く候。今が世にも、四十歳より内は勇智仁なり。埋れ居り候衆は四十過ぎても勇智仁にてなくば響きあるまじく候。彼の和尚など、たった勇智仁を以て鳴り廻り、名高く聞え候。又殿様の御上(おんうえ)、御家老、年寄衆などの上は、たとえ上手の理を見附け候ても、人に批判をせぬものなり。聞えぬ事にても御尤もと理を附けて、諸人思い附く様に、褒め崇めて置くが忠義なり。人の不審いたす様に仕成(しな)すは、勿体(もったい)なきことなり。人の心は、移り易きものにて、一人褒むれば早やそれにかたぶき、一人譏(そし)れば悪ろく思うものなり。又どこへか有り附き候様にと何某申され候由、先年承り候。左様の時は日来(ひごろ)の懇意愛想も尽きて、したたかに申したるがよく候事を、破れぬ様に結構づくに取合い候へば、うさんに思わるるものなり。斯様の事に味方の人より転ぜられ、引き腐らかさるる事あるものなり。飢え死んでも御家来の内なり。殿立て通すことは仏神の勧めにも見向も仕らざる合黙(ごうもく)にて、朽ち果て申さるべし。」と申し候由。
現代語訳
ある人物に助言した。「あなたの身の持ち方・心構えは今の人より優れていて結構なことだ。この上は、芸で身を立てる道に目を向けられよ。今のままでは惜しい。ただし名人になって御用に立つとき、先祖代々の侍としての本分を通し、単なる芸人になってしまわぬことだ。御国の侍が『芸は身を亡ぼす』と昔から見立ててきたのはこの点にある。人手の足りぬ時に召し出されなくとも、一身の覚悟さえあれば御用に立つ。大事の時にひそかに相談に来る者は、誰も見捨てておかぬものだ。それに指南するのは、なおのこと忠義である。(弁の立つ和尚の例として)彼の和尚は誰もが畏れている。相手が何を言おうと打ち崩し、たたみかけて理で説き伏せ、理詰めにする。人々は肝を潰し、言い伝え言い伝えして、やがて評判になる。弁舌の理を得意とし、鳴り響くコツを覚えた人だ。少し精を入れれば必ず身につく。『それは稽古でできるものか』と問われたので、『たやすいことだ。その時々に気を抜かず、正しい心に着けておかれよ』と答えた。十日のうちに国中に器量が響くはずだ、上手な理を見出すまでのこと。大きな犬を噛み伏せねば響かない。大きな仕事をやってみせよと言うと、『まことに利発な和尚だ』と言うので、『そうやって尻込みするから大業がならず、何の見どころもないのだ。誰であれ、必ずやってやるとかからねば、腕は伸びぬ』。義経が勇・智・仁を説いたのも面白い。今の世でも四十より内は勇智仁だ。埋もれている者は四十を過ぎても勇智仁がなければ世に響くまい。あの和尚などはただ勇智仁だけで鳴り響き、名高く聞こえている。ただし殿様や御家老、年寄衆といった目上の方については、たとえこちらが上手な理を見つけても、人前で批判せぬものだ。腑に落ちぬ事でも『ごもっとも』と理由をつけ、人々が納得するように褒め崇めておくのが忠義だ。人が疑いを抱くように仕向けるのは、もってのほかだ。人の心は移ろいやすく、一人が褒めればすぐそちらに傾き、一人がそしれば悪く思うものだ。またある人が『どこかに仕官できるように』と相談してきたと以前聞いた。そういう時、日頃の親しさや愛想が尽きても、厳しく本音を言うのがよいのに、角が立たぬよう体裁よく取り合うと、かえって胡散臭く思われる。こうした事で味方に足を引っ張られ、腐らされることもある。飢え死にしても御家来の身の内だ。主君を立て通すことは、仏神の勧めにも見向きもせぬ覚悟で、そのまま朽ち果てるべきだ」と語ったという。
解説
この章句が説くこと
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説苑・立節晋の献公の時、士有り、狐突と曰う。太子申生に傅たり。公驪姫を立てて夫人と為し、国憂い多し。狐突疾と称して出でず。六年、献公譖を以て太子を誅す。太子将に死せんとし、人をして狐突に謂わしめて曰わく、「吾が君老いたり、国家難多し。傅一たび出でて以て吾が君を輔けよ。申生賜を受けて以て死すとも恨みず」と。再拝稽首して死す。狐突乃ち復た献公に事う。三年、献公卒す。狐突諸大夫に辞して曰わく、「突太子の詔を受く。今事終われり。其の久しく乱世に生くるよりは、死して太子に報ゆるに若かず」と。乃ち帰りて自殺す。
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『春秋左氏伝』昭公二十年 宗魯、死を公孟に帰す衛の公孟縶齊豹を狎(かろ)んじ、之が司寇と鄄とを奪ふ。役有れば則ち之を反し、無ければ則ち之を取る。公孟北宮喜・褚師圃を惡み、之を去らんと欲す。公子朝襄夫人宣姜に通じ、懼れて以て亂を作さんと欲す。故に齊豹・北宮喜・褚師圃・公子朝、亂を作す。初め、齊豹宗魯を公孟に見えしめ、驂乘と為す。將に亂を作さんとして、之に謂ひて曰く、「公孟の不善なるは、子の知る所なり。與に乘ること勿かれ。吾將に之を殺さんとす」と。對へて曰く、「吾子に由りて公孟に事ふ。子吾に名を假す。故に吾を遠ざけず。其の不善なりと雖も、吾も亦た之を知る。抑も利の故を以て、去る能はず。是れ吾が過ちなり。今難を聞きて逃るるは、是れ子を僭(いつは)るなり。子事を行へ。吾將に之に死し、以て子に事ふることを周くし、而して死を公孟に歸さん。其れ可ならん」と。丙辰、衛侯平壽に在り。公孟蓋獲の門の外に事有り。齊子氏門の外に帷して、甲を伏す。
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史記 范雎蔡沢列伝蔡沢曰く、「若し夫れ秦の商君、楚の呉起、越の大夫種、その卒然たるもまた願ふべきか」と。応侯、蔡沢の己を困しめて以て説かんと欲するを知り、また謬りて曰く、「何為れぞ不可ならん。夫れ公孫鞅の孝公に事ふるや、身を極めて貳慮無く、公を尽くして私を顧みず。刀鋸を設けて以て姦邪を禁じ、賞罰を信にして以て治を致す。腹心を披き、情素を示し、怨咎を蒙り、旧友を欺き、魏の公子卬を奪ひ、秦の社稷を安んじ、百姓を利し、卒に秦の為に将を禽にし敵を破り、地を攘ふこと千里。呉起の悼王に事ふるや、私をして公を害するを得ざらしめ、讒をして忠を蔽ふを得ざらしめ、言は茍合を取らず、行ひは茍容を取らず、危ふきが為に行ひを易へず、義を行ひて難を辟けず、然して霸主の為に国を彊くし、禍凶を辞せず。大夫種の越王に事ふるや、主困辱すと雖も、忠を悉くして解らず、主絶亡すと雖も、能を尽くして離れず、功を成して矜らず、貴富にして驕怠せず。此の三子の若き者は、固より義の至りなり、忠の節なり。是の故に君子は義を以て難に死し、死を視ること帰するが如し。生きて辱めらるるは死して栄あるに如かず。士は固より身を殺して以て名を成す有り、義の在る所と雖も、死すと雖も恨む所無し。何為れぞ不可ならんや」と。蔡沢曰く、「主聖に臣賢なるは、天下の盛福なり。君明に臣直なるは、国の福なり。父慈に子孝に、夫信に妻貞なるは、家の福なり。故に比干は忠なれども殷を存する能はず、子胥は智なれども呉を完くする能はず、申生は孝なれども晋国乱る。是れ皆忠臣孝子有りて、国家滅乱する者は、何ぞや。明君賢父以てこれを聴く無し。故に天下その君父を以て僇辱と為してその臣子を憐れむ。今、商君・呉起・大夫種の人臣たるは、是なり。その君は非なり。故に世に三子は功を致して徳とせられずと称す、豈に世に遇はずして死するを慕はんや。
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史記 季布欒布列伝斉に使ひし、未だ還らざるに、漢彭越を召し、責むるに謀反を以てし、三族を夷す。已にして彭越の頭を雒陽の下に梟し、詔して曰く「敢へて収め視る者有らば、輒ち之を捕へよ」と。布斉より還り、事を彭越の頭の下に奏し、祠りて之を哭す。吏布を捕へて以聞す。上布を召し、罵りて曰く「若彭越と反するか。吾人を禁じて収むる勿からしむるに、若独り祠りて之を哭す、越と反すること明らかなり。趣やかに之を亨よ」と。方に提げて湯に趣くに、布顧みて曰く「願はくは一言して死せん」と。上曰く「何をか言はん」と。布曰く「方に上の彭城に困しみ、滎陽・成皋の間に敗るるに、項王の遂に西する能はざる所以は、徒だ彭王梁の地に居り、漢と合従して楚を苦しむるを以てなり。是の時に当たり、彭王一たび顧みて、楚に与せば則ち漢破れ、漢に与せば楚破れん。且つ垓下の会、彭王微かりせば、項氏亡びず。天下已に定まり、彭王符を剖き封を受く、亦た之を万世に伝へんと欲す。今陛下一たび兵を梁に徴し、彭王病みて行かず、而るに陛下疑ひて以て反と為す、反の形未だ見えざるに、苛小の案を以て之を誅滅す、臣恐らくは功臣人人自ら危ぶまん。今彭王已に死す、臣生くるは死するに如かず、請ふ亨に就かん」と。是に於て上乃ち布の罪を釈し、拝して都尉と為す。孝文の時、燕の相と為り、将軍に至る。布乃ち称して曰く「窮困して身を辱め志を下す能はざるは、人に非ず。富貴にして意を快くする能はざるは、賢に非ず」と。是に於て嘗て徳有る者には厚く之に報い、怨み有る者には必ず法を以て之を滅す。呉・楚反せし時、軍功を以て兪侯に封ぜられ、復た燕の相と為る。燕・斉の間皆欒布の為に社を立て、欒公社と号す。景帝中五年薨ず。子賁嗣ぎ、太常と為り、犠牲令の如くならず、国除かる。太史公曰く、項羽の気を以てして、季布勇を以て楚に顕はれ、身ら軍を屨みて旗を搴ること数々なり、壮士と謂ふべし。然れども刑戮を被り、人の奴と為りて死せざるに至るは、何ぞ其の下れるや。
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