葉隠 / 聞書第二
詮議事又は世間の話を聞く時も、その理を尤もと計り思ひて、そのあたりにぐどついては立越えたる理が見えず。人が黑きと云はゞ黑き筈ではなし、白き筈なり、白き理があるべしと、その事の上に理を附けて、案じて見れば、一段立上りたる理が見ゆるものなり。斯様に眼を附けねば、上手取ることにはならず。さてその座にて云ふべき理ならば、障らぬ様に云ふべし。人に越えたる理の見ゆる仕様は是くの如きなり。云はれぬ相手ならば、障らぬ様に取合ひして心にはその理を見出して置きたるがよし。わる推量、裏廻り、物疑ひなどとは違ひ候なり。
新字:詮議事又は世間の話を聞く時も、その理を尤もと計り思ひて、そのあたりにぐどついては立越えたる理が見えず。人が黒きと云はゞ黒き筈ではなし、白き筈なり、白き理があるべしと、その事の上に理を附けて、案じて見れば、一段立上りたる理が見ゆるものなり。斯様に眼を附けねば、上手取ることにはならず。さてその座にて云ふべき理ならば、障らぬ様に云ふべし。人に越えたる理の見ゆる仕様は是くの如きなり。云はれぬ相手ならば、障らぬ様に取合ひして心にはその理を見出して置きたるがよし。わる推量、裏廻り、物疑ひなどとは違ひ候なり。
書き下し
詮議事(せんぎごと)又は世間の話を聞く時も、その理(り)を尤(もっと)もと計(ばか)り思いて、そのあたりにぐどついては立越(たちこ)えたる理が見えず。人が黒きと云わば黒き筈(はず)ではなし、白き筈なり、白き理があるべしと、その事の上に理を附けて、案じて見れば、一段立上りたる理が見ゆるものなり。斯様(かよう)に眼を附けねば、上手(じょうず)取ることにはならず。さてその座にて云うべき理ならば、障(さわ)らぬ様に云うべし。人に越えたる理の見ゆる仕様(しよう)は斯(か)くの如きなり。云われぬ相手ならば、障らぬ様に取合(とりあ)いして心にはその理を見出して置きたるがよし。わる推量、裏廻(うらまわ)り、物疑(ものうたが)いなどとは違い候なり。
現代語訳
議論や世間話を聞くときも、相手の言う理屈をもっともだと思うばかりで、その辺りでぐずぐずしていては、一段上の理は見えてこない。人が「黒い」と言ったら、黒いと決まっているわけではない、白いはずだ、白い理由があるはずだと、その事柄にさらに理屈を付けて考えてみれば、一段上の理が見えてくるものだ。このように目を付けなければ、物事を上手にとらえることはできない。さて、その場で言うべき理屈であれば、角が立たないように言うべきだ。人より優れた理を見出すやり方はこのようなものだ。言っても通じない相手なら、当たり障りのないように受け答えして、心の中でその理を見出しておくのがよい。これは悪い推量や裏の勘ぐり、疑い深さとは違うのである。
解説
この章句が説くこと
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