言志四録 / 南洲手抄
堯舜文王、其所遺典謨訓誥、皆可以爲萬世法。何遺命如之。至於成王顧命、曾子善言、賢人分上自當如此已。因疑孔子泰山之歌、後人假託爲之。檀弓叵信、多此類。欲尊聖人、而却爲之累。
新字:堯舜文王、其所遺典謨訓誥、皆可以為万世法。何遺命如之。至於成王顧命、曽子善言、賢人分上自当如此已。因疑孔子泰山之歌、後人仮託為之。檀弓叵信、多此類。欲尊聖人、而却為之累。
書き下し
堯舜文王は、其の遺す所の典謨訓誥、皆以て万世の法と為す可し。何の遺命か之に如かん。成王の顧命、曾子の善言に至つては、賢人の分上自ら当に此の如くなるべきのみ。因つて疑ふ、孔子泰山の歌、後人仮託之を為れるならん。檀弓の信じ叵きこと此の類多し。聖人を尊ばんと欲して、却つて之が累を為せり。
現代語訳
尭・舜・文王が遺した数々の教えは、みな万世の手本とすべきものだ。これに勝る遺言があろうか。だが成王の顧命や曾子の臨終の善言となると、賢人として当然そうあるべきものにすぎない。そこで私は疑う——孔子が泰山で死を予感して歌ったという話は、後世の人が仮託して作ったものだろう、と。『礼記』檀弓篇には、こうした信じがたい話が多い。聖人を尊ぼうとして、かえって聖人の傷(累)を作ってしまっているのだ。
解説
一斎の批判精神と聖人観がよく表れた一条です。尭舜文王の教えは万世の法たりうるが、臨終に立派な言葉を残すこと自体は賢人の域にすぎない、と前条の論を進めます。そのうえで、孔子が死を予感して泰山の歌を詠んだという『礼記』檀弓篇の逸話を「後世の作り話だろう」と大胆に疑う。聖人を過度に神格化する逸話は、かえって聖人を貶めるというのです。権威や伝承を鵜呑みにせず、筋を通して検証する——古典に対してすら保った一斎の批判的態度は、情報の真偽を吟味すべき現代の私たちにも通じます。
この章句が説くこと
批判的思考聖人観礼記検証
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