葉隠 / 聞書第二
さもなきことを、念を入れて委しく語る人には、多分其の裏に、申し分があるものなり。それを紛らかし隱さん爲に、何となく繰立てゝ語る事なり。それは、聞くと胸に不審が立つものなり。
新字:さもなきことを、念を入れて委しく語る人には、多分其の裏に、申し分があるものなり。それを紛らかし隠さん為に、何となく繰立てゝ語る事なり。それは、聞くと胸に不審が立つものなり。
書き下し
さもなきことを、念を入れて委(くわ)しく語る人には、多分(たぶん)其の裏に、申し分(もうしぶん)があるものなり。それを紛(まぎ)らかし隠さん為(ため)に、何となく繰立(くりた)てて語る事なり。それは、聞くと胸に不審(ふしん)が立つものなり。
現代語訳
たいしたことでもないのに、やたらと念を入れて詳しく語る人には、たいていその裏に、何か言いたい事情が隠れているものだ。それを紛らかし隠そうとするために、なんとなく言葉を並べ立てて語るのである。そうした話は、聞いていると胸のうちに何となく不審が湧いてくるものだ。
解説
人の話しぶりから本心を見抜く観察眼を説いた一条です。たいした話でもないのに、やたらと丁寧に、くどくどと説明する人——そこには往々にして、隠したい事情があるといいます。人はうしろめたさを覆い隠そうとするとき、かえって言葉が多くなり、話を飾り立てる。だから聞き手の胸に、理由もなく不審の念が湧くのだ、というのです。言葉の多さと誠実さは必ずしも一致しない、むしろ饒舌が本心を裏切ることがある、という人間観察の知恵です。現代でも、過剰な弁明や不自然な念押しに違和感を覚える経験は誰にでもあり、相手の言動の「量」に潜む機微を読む力として通じます。
この章句が説くこと
葉隠観察眼人間洞察饒舌本心違和感