葉隠 / 聞書第二
端的濟まぬ事は一生埒明かず、その時一人力にては成し難く、二人力になりて埒明くる所なり。後にと思へば、一生の懈怠となるなり。忽ち飛込み、直ちに踏破する事は一歩の左足なり。又左足を踏み、鐵壁も通れと云ふも面白く候。又大一機を得たる人は、日本開闢以來秀吉一人と思はれ候由。
新字:端的済まぬ事は一生埒明かず、その時一人力にては成し難く、二人力になりて埒明くる所なり。後にと思へば、一生の懈怠となるなり。忽ち飛込み、直ちに踏破する事は一歩の左足なり。又左足を踏み、鉄壁も通れと云ふも面白く候。又大一機を得たる人は、日本開闢以来秀吉一人と思はれ候由。
書き下し
端的(たんてき)済まぬ事は一生埒(らち)明かず、その時一人力(いちにんりき)にては成し難く、二人力(ににんりき)になりて埒明くる所なり。後にと思えば、一生の懈怠(けたい)となるなり。忽(たちま)ち飛込み、直ちに踏破(ふみやぶ)する事は一歩の左足なり。又左足を踏み、鉄壁も通れと云うも面白く候。又大一機(だいいっき)を得たる人は、日本開闢(かいびゃく)以来秀吉一人と思われ候由。
現代語訳
その場ですぐに片づけないことは、一生かたがつかない。その時、一人分の力ではやり遂げがたく、二人分の力を振り絞ってこそ片がつくものだ。後回しにしようと思えば、一生の怠りになってしまう。すぐさま飛び込み、ただちに突破するのは、踏み出す一歩の左足である。左足を踏み出し、鉄の壁でも突き抜けよ、というのも面白い言葉だ。また、大きな機会をつかんだ人は、日本開闢以来、豊臣秀吉ただ一人だと思われる、ということだ。
解説
「後でやろう」は一生やらないに等しい――先延ばしを断つ決断の速さを説いた一句です。その場で片づけるには、普段の一人分の力では足りず、二人分の力を絞り出すほどの踏ん張りが要る。その突破口を開くのが「踏み出す一歩の左足」であり、鉄壁さえ突き抜けよという勢いです。ためらいを断ち切って最初の一歩を踏み出すことに、すべてがかかっているのです。現代でも、着手の遅れが物事を停滞させ、機会を逃す原因になります。考え込む前にまず動く、その最初の一歩の力を信じよという、行動の心得として今も生きています。
この章句が説くこと
葉隠即断即行先延ばし最初の一歩踏み出す勇気武士道
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