葉隠 / 聞書第二
主にも、家老年寄にも、ちと隔心に思はれねば大業はならず。何事もなく腰に附けられては働かれぬものなり。此の心持これある事の由。
書き下し
主にも、家老年寄(かろうとしより)にも、ちと隔心(かくしん)に思われねば大業(たいぎょう)はならず。何事もなく腰に附(つ)けられては働かれぬものなり。此の心持(こころもち)これある事の由。
現代語訳
主君からも、家老や年寄といった重役たちからも、少しは「油断ならぬやつだ」と一目置かれるくらいでなければ、大きな仕事は成し遂げられない。何の警戒もされず、ただの腰巾着のように可愛がられているだけでは、思い切った働きはできないものだ。こういう心構えが大切である、と。
解説
上役に気に入られるだけの「腰巾着」では大きな仕事はできない、という気概を説いた一条です。むしろ主君や重役から「少し距離を置きたい、油断ならぬ」と一目置かれるくらいの存在感がなければ、思い切った働きは生まれないと言います。ただ従順に可愛がられる者は、いざという時に大胆な行動を取れないからです。これは組織の中で埋没せず、独立した見識と気迫を持てという教えであり、現代の仕事にも通じます。上司に迎合するだけの人材より、時に緊張感を与える骨のある人材こそ大事を担える、という洞察は、健全な組織のあり方を考えさせる普遍的な示唆です。
この章句が説くこと
葉隠気概腰巾着一目置かれる存在感大業
関連する章句
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