葉隠 / 聞書第一
上下によらず、身の分際に過ぎたる事をするものは、つまり與性卑劣などして、下々は逃げ走りをするものなり。下人などに氣を附くべき事なり。
新字:上下によらず、身の分際に過ぎたる事をするものは、つまり与性卑劣などして、下々は逃げ走りをするものなり。下人などに気を附くべき事なり。
書き下し
上下(じょうげ)によらず、身の分際(ぶんざい)に過ぎたる事をするものは、つまり与性(よしょう)卑劣などして、下々(しもじも)は逃げ走りをするものなり。下人(げにん)などに気を附くべき事なり。
現代語訳
身分の上下を問わず、自分の身の丈を超えた(分不相応な)ことをする者は、結局その性根が卑しくなり、(それに耐えかねて)下の者たちは逃げ出してしまうものだ。(だから主人たる者は)召し使う下人などにも、よく気を配るべきである。
解説
身分の上下にかかわらず、分不相応なことをすると身を持ち崩し、その下で働く者まで愛想を尽かして逃げ出してしまう、という戒めです。主人が驕り分をわきまえずに振る舞えば、しわ寄せは下の者に及び、人望も家中もほころびていく。だからこそ、召し使う下人にまで気を配れと説きます。上に立つ者の慎みと、下への目配りをひとつながりに捉えた洞察です。『葉隠』には身分相応の暮らしを説く条が随所にあり、本条もその系譜にあります。現代でも、地位や立場を超えた驕りが周囲の離反を招き、部下や仲間への配慮を欠くと人が去っていくという構図は、組織運営にそのまま通じるでしょう。
この章句が説くこと
身分相応分をわきまえる驕りの戒め下への配慮人望上に立つ者の慎み
関連する章句
-
李衛公問対・卷中文は能く衆を附け、武は能く敵を威す。
-
説苑・臣術楚の令尹死す。景公成公幹に遇いて曰く、「令尹将た焉くにか帰せん」と。成公幹曰く、「殆ど屈春に於いてか」と。景公怒りて曰く、「国人以て我に帰すと為す」と。成公幹曰く、「子の資少なく、屈春の資多し。子義天下の至憂を獲て、而れども以て友と為す。鳴鶴と芻狗と、其の知甚だ少なきも、而れども子之を玩ぶ。鴟夷子皮日に屈春に侍し、損頗友と為る。二人の智、以て令尹と為るに足るも、敢えて其の智を専らにせずして之を屈春に委ぬ。故に曰く、政其れ屈春に帰せんかと」と。
-
言志四録・南洲手抄己を喪へば斯に人を喪ふ。人を喪へば斯に物を喪ふ。
-
尉繚子・十二陵衆を得るは人に下るに在り。
-
史記 孫子呉起列伝呉起、西河の守と為り、甚だ声名有り。魏、相を置き、田文を相とす。呉起悦ばず、田文に謂ひて曰く、「請ふ、子と功を論ぜん、可なるか」と。田文曰く、「可なり」と。起曰く、「三軍を将ゐ、士卒をして死を楽ひ、敵国をして敢て謀らざらしむるは、子、起と孰れぞ」と。文曰く、「子に如かず」と。起曰く、「百官を治め、万民を親しましめ、府庫を実たすは、子、起と孰れぞ」と。文曰く、「子に如かず」と。起曰く、「西河を守りて秦の兵敢て東に郷はず、韓・趙賓従せしむるは、子、起と孰れぞ」と。文曰く、「子に如かず」と。起曰く、「此の三者、子皆吾が下に出づ、而るに位、吾が上に加はるは何ぞや」と。文曰く、「主少くして国疑ひ、大臣未だ附かず、百姓信ぜず。是の時に方りて、之を子に属せんか、之を我に属せんか」と。起、黙然たること良や久しくして曰く、「之を子に属せん」と。文曰く、「此れ乃ち吾が子の上に居る所以なり」と。呉起乃ち自ら田文に如かざるを知る。
-
葉隠・聞書第一直茂公(なおしげこう)御意(ぎょい)の通(とお)り、志(こころざし)ある侍(さむらい)は諸朋輩(しょほうばい)と懇意(こんい)に寄(よ)り合(あ)うはずなり。それゆえ、侍(さむらい)より足軽(あしがる)まで大分(だいぶ)入魂(じっこん)いたし置(お)きたり。この衆(しゅう)は自然(しぜん)の時(とき)一働(ひとはたら)き存(ぞん)じ立(た)ち候(そうろう)が、「主人(しゅじん)の御為(おんため)に同意(どうい)あるまじきや」と申(もう)す時(とき)、二三(にさん)といわぬところ(ぐずぐず言わぬところ)、見届(みとど)け置(お)きたり。されば、よき家来(けらい)を持(も)ちたる始(はじ)めなり。御為(おんため)になることなり。