葉隠 / 聞書第一
上下によらず、身の分際に過ぎたる事をするものは、つまり與性卑劣などして、下々は逃げ走りをするものなり。下人などに氣を附くべき事なり。
新字:上下によらず、身の分際に過ぎたる事をするものは、つまり与性卑劣などして、下々は逃げ走りをするものなり。下人などに気を附くべき事なり。
書き下し
上下(じょうげ)によらず、身の分際(ぶんざい)に過ぎたる事をするものは、つまり与性(よしょう)卑劣などして、下々(しもじも)は逃げ走りをするものなり。下人(げにん)などに気を附くべき事なり。
現代語訳
身分の上下を問わず、自分の身の丈を超えた(分不相応な)ことをする者は、結局その性根が卑しくなり、(それに耐えかねて)下の者たちは逃げ出してしまうものだ。(だから主人たる者は)召し使う下人などにも、よく気を配るべきである。
解説
身分の上下にかかわらず、分不相応なことをすると身を持ち崩し、その下で働く者まで愛想を尽かして逃げ出してしまう、という戒めです。主人が驕り分をわきまえずに振る舞えば、しわ寄せは下の者に及び、人望も家中もほころびていく。だからこそ、召し使う下人にまで気を配れと説きます。上に立つ者の慎みと、下への目配りをひとつながりに捉えた洞察です。『葉隠』には身分相応の暮らしを説く条が随所にあり、本条もその系譜にあります。現代でも、地位や立場を超えた驕りが周囲の離反を招き、部下や仲間への配慮を欠くと人が去っていくという構図は、組織運営にそのまま通じるでしょう。
この章句が説くこと
身分相応分をわきまえる驕りの戒め下への配慮人望上に立つ者の慎み
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人生を、一行の式にしてみた。
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