葉隠 / 聞書第二
打見えたる所に、その儘、その人々の丈分の威が顯るゝものなり。詞寡き所に威あり。禮儀深き所に威あり。行儀重き所に威あり。嗜む所に威あり。奧齒嚙みして眼差尖なる所に威あり。これ皆、外に顯れたる所なり。畢竟は氣をぬかさず、正念なる所が基にて候となり。
新字:打見えたる所に、その儘、その人々の丈分の威が顕るゝものなり。詞寡き所に威あり。礼儀深き所に威あり。行儀重き所に威あり。嗜む所に威あり。奥齒嚙みして眼差尖なる所に威あり。これ皆、外に顕れたる所なり。畢竟は気をぬかさず、正念なる所が基にて候となり。
書き下し
打見(うちみ)えたる所に、その儘(まま)、その人々の丈分(たけぶん)の威(い)が顕(あらわ)るるものなり。詞(ことば)寡(すく)なき所に威あり。礼儀深き所に威あり。行儀重き所に威あり。嗜(たしな)む所に威あり。奥歯(おくば)嚙(か)みして眼差(まなざし)尖(とが)なる所に威あり。これ皆、外に顕れたる所なり。畢竟(ひっきょう)は気をぬかさず、正念(しょうねん)なる所が基(もと)にて候となり。
現代語訳
ぱっと見たところに、そのまま、その人相応の威(風格)が現れるものだ。言葉数の少ないところに威がある。礼儀の深いところに威がある。挙措の重々しいところに威がある。慎み嗜むところに威がある。奥歯を嚙みしめ、眼差しの鋭いところに威がある。これらは皆、外に現れたものだ。つまるところ、気を抜かず、正念(一つに集中した確かな心)でいることが、その根本なのである。
解説
人の「威(内面からにじむ風格・重み)」がどこに現れるかを列挙した一条です。寡黙さ、礼儀正しさ、落ち着いた挙措、慎み、引き締まった眼差し——これらはすべて外に現れる姿ですが、その根本は「気を抜かず、正念でいる」という内面の張りにある、と説きます。つまり風格は取り繕って作れるものではなく、常に心を集中させ油断しない在り方から自然ににじみ出る。現代でいえば、立ち居振る舞いや表情に人の内実は表れ、日頃の緊張感や誠実さがそのまま存在感になる、ということです。外見を飾るより内面の充実を、と教える普遍的な人間観です。
この章句が説くこと
葉隠威風格正念佇まい内面
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