葉隠 / 聞書第二
結構者はずり下る、強みにてなければならぬものなり。
書き下し
結構者(けっこうもの)はずり下(さが)る、強みにてなければならぬものなり。
現代語訳
見た目の立派さや体裁ばかりを気にする者は、いざというときにずるずると後ずさりして退いてしまう。人はやはり、内から湧く強さを備えていなければならない。
解説
「結構者」とは、うわべの体面や恰好のよさにこだわる人を指します。常朝は、そうした人ほど土壇場で退いてしまうと戒め、必要なのは飾りではなく内側の芯の強さだと説きます。見栄えは平時には通用しても、危機の場では役に立たない。むしろ普段から地味でも肝の据わった者こそ頼りになる、という逆説です。現代でも、経歴や肩書きの立派さと、いざというときの踏ん張りは別物です。整った外見に安心せず、自分の中に本当の強さを育てているかを問い直す一句として読めます。
この章句が説くこと
葉隠内面の強さ体面見栄土壇場武士道
関連する章句
-
葉隠・聞書第二打見(うちみ)えたる所に、その儘(まま)、その人々の丈分(たけぶん)の威(い)が顕(あらわ)るるものなり。詞(ことば)寡(すく)なき所に威あり。礼儀深き所に威あり。行儀重き所に威あり。嗜(たしな)む所に威あり。奥歯(おくば)嚙(か)みして眼差(まなざし)尖(とが)なる所に威あり。これ皆、外に顕れたる所なり。畢竟(ひっきょう)は気をぬかさず、正念(しょうねん)なる所が基(もと)にて候となり。
-
葉隠・聞書第二気力さへ強ければ、詞(ことば)にても身の行ひにても、道に叶ふ様になるものなり。然れども、心に問はれたる時、一句もいかぬものなり。よき目付(めつけ)なりと。
-
葉隠・聞書第二風体(ふうてい)・口上(こうじょう)・手跡(しゅせき)にて上手(じょうず)を取るなり。風体の元は時宜(じぎ)なり。見事なるものなり。今時(いまどき)、ちと目に立つ衆は、書き読みの分なり。やすき事を、人が油断して居るなり。
-
葉隠・聞書第一何某(なにがし)は気性者(きしょうもの)なり、何某の前にてかような儀を申し候(そうろう)」と話す人あり。それが面(つら)に似合わぬ言い分なり。曲者(くせもの)と言われたきまでなり。卑(いや)しき位なり。青き所がある人と見えたり。そのように、人の前にて物を言うは槍持(やりもち)中間(ちゅうげん)の出会い同然にて賤(いや)しき事なり。「侍たる者は、まず礼儀正しきとこそ美しけれ」と。扇・鼻紙・料紙・臥具(がぐ)などは、少しよき物にても苦しからざるなり。居宅・衣裳・諸道具など面(つら)に似合わぬ事する人多し。
-
葉隠・聞書第二何某(なにがし)は、第一顔の皮厚く、器量ありて利発者にて、御用に立つ所もあり。この前、「其の方は利発が残らず外に出て、奥深き所なし。ちと鈍になりて、十の物三つ四つ内に残す事はなるまじきや。」と申し候えば、「それは成り申さず候。」と申し候。さりながら御身辺、国家辺、重き事は少しもさせられぬ丈(だ)けなり。誰々と一風のものなり。利発智慧にて、何事も済むものと覚えて入魂(じっこん)されぬものなり。何某は不弁には見ゆれど、実(じつ)が有る故に、立って行く奉公人なり。と。
-
葉隠・聞書第二剛と臆と云ふものは、平生当りて見ては当らず。別段にあるものなり。