葉隠 / 聞書第二
風體 口上 手跡にて上手を取るなり。風體の元は時宜なり。見事なるものなり。今時、ちと目に立つ衆は、書き讀みの分なり。やすき事を、人が油斷して居るなり。
新字:風体 口上 手跡にて上手を取るなり。風体の元は時宜なり。見事なるものなり。今時、ちと目に立つ衆は、書き読みの分なり。やすき事を、人が油断して居るなり。
書き下し
風体(ふうてい)・口上(こうじょう)・手跡(しゅせき)にて上手(じょうず)を取るなり。風体の元は時宜(じぎ)なり。見事なるものなり。今時(いまどき)、ちと目に立つ衆は、書き読みの分なり。やすき事を、人が油断して居るなり。
現代語訳
奉公人は、風采・話しぶり・筆跡によって評価を勝ち取るものだ。風采の元になるのは時宜にかなった振る舞い(あいさつや礼儀)である。それが見事だと立派に見える。今どき、少し目立つ人というのは、読み書きができるという程度のことだ。こうした易しいことを、多くの人が油断して怠っているのである。
解説
人の評価を決めるのは、意外にも身近で易しい基本だと説く処世論です。常朝は、奉公人が上手(評価)を得る決め手を、風采・話しぶり・筆跡の三つに絞ります。その土台は「時宜」、つまり場に応じた挨拶や礼儀という日常の所作。読み書きができるだけで目立つのは、皆がその易しいことを油断して怠っているからだ、と指摘します。裏を返せば、当たり前の基本を丁寧に磨くだけで人は抜きん出られる、という励ましです。現代でも、身だしなみ・話し方・丁寧な文面といった基礎は軽視されがちですが、そこにこそ差がつく。特別な才ではなく、誰でもできることを油断せず積むことの価値を教える一条です。
この章句が説くこと
葉隠風体口上手跡時宜基本を磨く
関連する章句
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