葉隠 / 聞書第二
慚愧懺悔と云ふ事は、器物に入れたる水を打ちかへす様なるものなり。或御方の盜人白狀の仕様を聞き候へば、不憫になるなり。即ち改むれば、忽ち跡は消えて行くなり。
新字:慚愧懺悔と云ふ事は、器物に入れたる水を打ちかへす様なるものなり。或御方の盗人白状の仕様を聞き候へば、不憫になるなり。即ち改むれば、忽ち跡は消えて行くなり。
書き下し
慚愧懺悔(ざんきざんげ)と云ふ事は、器物に入れたる水を打ちかへす様なるものなり。或御方(あるおかた)の盗人白状の仕様を聞き候へば、不憫になるなり。即ち改むれば、忽(たちま)ち跡は消えて行くなり。
現代語訳
恥じ悔いて懺悔するということは、器に入れた水をさっとこぼしてしまうようなものである。あるお方が、盗人が白状する様子を聞かれると、不憫に思われたという。すぐに(過ちを)改めれば、たちまち跡形もなく消えていくのである。
解説
過ちを恥じ、心から悔いて改めることを、器の水を一気にこぼす動作にたとえた一条です。悔いをためらってぐずぐず抱えるのではなく、思い切って一度にこぼし切る。そうして即座に改めれば、過ちの跡はたちまち消えていく、というのです。懺悔とは過去を引きずることではなく、きっぱり手放して新たに始める行為だという、前向きな捉え方が示されています。盗人の白状に不憫を覚えるという挿話も、罪を責め立てるより、悔いて改める心そのものを尊ぶ姿勢を伝えます。失敗を潔く認めて素早く立て直す、という教えは、現代の過ちとの向き合い方にも通じます。
この章句が説くこと
葉隠懺悔慚愧過ちを改める切り替え潔さ
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葉隠・聞書第一「過(あやま)つて改(あらた)むるに憚(はばか)る事なかれ。」といへり。少しも猶予(ゆうよ)なく改むれば、誤り忽(たちま)ち滅するなり。誤を紛(まぎ)らかさんなどとする時、なおなお見苦しく、苦しみあり。禁句などを言い出した時、手取り早くその趣(おもむき)をいえば、禁句少しも残らず、心屈(くっ)せざるなり。もしまた咎(とが)むる人ならば、「誤つて申し出で候。その謂(いわ)れを申し披(ひら)き候に、御聞き分けなくば力に及ばず候。存じ当らず候て申し候えば、誰か上をも沙汰は致すまじきと思い、我が胸に合わぬ事に候。」と云いて覚悟すべし。さてこそ、人ごとに隠し事を、ふつと云うべからず。また一座をはかりて、一言(ひとこと)も云うべき事なり。
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