葉隠 / 聞書第二
何某帳納めの時、銀不足に付寄親へ申し達し、「金銀の事にて腹を切らせ候は殘念の事に候。寄親役に銀子差出され候樣に。」と申し候に付、尤もの由にて合力致され、相濟み候。惡事も破れぬ仕樣あるものにて候由。
新字:何某帳納めの時、銀不足に付寄親へ申し達し、「金銀の事にて腹を切らせ候は残念の事に候。寄親役に銀子差出され候様に。」と申し候に付、尤もの由にて合力致され、相済み候。悪事も破れぬ仕様あるものにて候由。
書き下し
何某(なにがし)帳納(ちょうおさ)めの時、銀不足に付(つき)寄親(よりおや)へ申し達し、「金銀の事にて腹を切らせ候は残念の事に候。寄親役に銀子(ぎんす)差出され候様に。」と申し候に付、尤(もっと)もの由(よし)にて合力(ごうりき)致され、相済(あいす)み候。悪事も破れぬ仕様あるものにて候由。
現代語訳
不祥事も表沙汰にせず収める方法がある。金銭のことで腹を切らせるのは惜しいことだ。ある者が帳簿を締める際、銀が不足していたので、寄親(後見役)に申し出て、「金銭のことで腹を切らせるのは惜しいことです。寄親役として銀を立て替えて出してやってください」と言ったところ、もっともなことだと承知して援助し、事は無事に収まった。悪事も表沙汰にせず収める方法があるものだ、というのである。
解説
帳簿の銀が不足した部下を、後見役が立て替えて救い、切腹という最悪の事態を避けて事を穏便に収めた話です。「金銭のことで人に腹を切らせるのは惜しい」という一言に、命の重さを金銭より上に置く価値観がにじみます。過ちをすべて厳罰で処すのではなく、表沙汰にせず収める道もある、という度量と機転を評価しています。硬直した処罰主義に対し、人を活かす柔軟さを説く点が現代にも通じます。組織で部下の小さな過失に直面したとき、破滅させずに立て直させる配慮が、結局は人も組織も守る、という示唆です。なお切腹を過失への当然の帰結とする前提は時代背景によるもので、現代の価値観とは隔たりがあります。
この章句が説くこと
葉隠過失寛容命の重さ穏便度量
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