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葉隠 / 聞書第一

誤ある者を捨てるな、誤の一度もない者は却つて危い。何某立身御詮議の時、此の前大酒仕り候事これあり、立身無用の由衆議一決の時、「一度誤りたる者は、其の誤を後悔致すべき故、隨分嗜み候て御用に立ち申し候。立身仰付けられ然るべき」由申され候。其の時何れも、「何を以て請に御立ちなされ候や。」と申され候。「成程某請に立ち申すべし。」と申され候。「其方御請合ひ候や。」立身仰付けられ候由。誤一度もなきものは、あぶなく候。人は出來申すまじく候。

新字:誤ある者を捨てるな、誤の一度もない者は却つて危い。何某立身御詮議の時、此の前大酒仕り候事これあり、立身無用の由衆議一決の時、「一度誤りたる者は、其の誤を後悔致すべき故、随分嗜み候て御用に立ち申し候。立身仰付けられ然るべき」由申され候。其の時何れも、「何を以て請に御立ちなされ候や。」と申され候。「成程某請に立ち申すべし。」と申され候。「其方御請合ひ候や。」立身仰付けられ候由。誤一度もなきものは、あぶなく候。人は出来申すまじく候。

書き下し

誤(あやまち)ある者を捨てるな、誤の一度(いちど)もない者は却(かえ)つて危(あや)ふい。何某(なにがし)立身(りっしん)御詮議(ごせんぎ)の時、この前(まえ)大酒(たいしゅ)仕り候事これあり、立身無用(むよう)の由(よし)衆議一決(しゅうぎいっけつ)の時、「一度誤りたる者は、その誤を後悔(こうかい)致すべきゆゑ、随分(ずいぶん)嗜(たしな)み候て御用に立ち申し候。立身仰(おお)せ付けられ然(しか)るべき」由申され候。その時いづれも、「何を以て請(うけ)に御立ちなされ候や」と申され候。「なるほど某(それがし)請に立ち申すべし」と申され候。「其方(そのほう)御請け合ひ候や」。立身仰せ付けられ候由。誤一度もなきものは、あぶなく候。人は出来(でき)申すまじく候。

現代語訳

過ちのある者を見捨てるな。一度も過ちのない者は、かえって危ういものだ。ある者の昇進を評議したとき、以前に大酒でしくじったことがあるとして、「昇進は見送るべし」と衆議が一決した。そのとき(ある人が)、「一度過ちを犯した者は、その過ちを後悔しているから、かえって十分に身を慎んで御用に立つものです。昇進を仰せ付けられるのがよろしい」と言った。すると皆が「何を根拠に、その保証人にお立ちになるのか」と問うた。「なるほど、この某が保証人に立ちましょう」と答えた。「あなたが請け合われるのか」。(それで)昇進が仰せ付けられたという。過ちが一度もない者こそ危ういのだ。(過ちを経なければ)人は成長しないものである。

解説

「過ちのある者を捨てるな、一度も過ちのない者はかえって危うい」という、失敗観を鮮やかに示す一条です。一度しくじった者は後悔して身を慎むから、かえって役に立つ。逆に、無傷の者は試練を経ておらず頼りにならない、と言います。注目すべきは、ある人がわが身をかけて保証人に立ち、その者の昇進を実現させる場面です。人を失敗歴で切り捨てず、可能性を信じて後押しする姿勢が描かれます。『葉隠』は厳しい書ですが、ここには失敗を成長の糧と見る温かさがあります。現代でも、失敗を経た人ほど慎重さと粘りを備えることが多く、無失敗の経歴だけで人を評価するのは危うい。過ちをどう活かしたかを見て人を用いる知恵は、今も有効でしょう。

この章句が説くこと

失敗観過ちを許す成長の糧後悔と自省人を活かす可能性を信じる

この一句を、あなたの毎日に。

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