葉隠 / 聞書第二
今時分の者無氣力なのは無事故、何事かあれば骨々となる 今時の衆、『陣立などとれなく候て仕合せ。』と申され候。無嗜の申分にて候。繰かの一生の内、その手に會ひたき事に候。寢蓙の上にて息を引切り候は、まづ苦痛堪へがたく、武士の本意にあらず。古人は別して歎き申したる由に候。討死ほど死によき事はあるまじく候。」右體の事申す衆に一言申すも事々しき老人など申され候が、脇より心ある人聞き候はゞ、同意のやう存ずべく候へば、障らぬやうに一言申すべきは、「左樣にてもとれなく候。今時分の者、無氣力に候は無事ゆゑにて候。何事ぞ出來候はゞ、ちと骨々となり申すべく候。よく/\替り候ても昔は昔にて候。今時の人は、世間おしなべて落ち下り候へば、劣り申すべき謂はれとれなく候。」などと、一座を見量り申すべき事に候。誠に一言が大事の物となり。
新字:今時分の者無気力なのは無事故、何事かあれば骨々となる 今時の衆、『陣立などとれなく候て仕合せ。』と申され候。無嗜の申分にて候。繰かの一生の内、その手に会ひたき事に候。寝蓙の上にて息を引切り候は、まづ苦痛堪へがたく、武士の本意にあらず。古人は別して歎き申したる由に候。討死ほど死によき事はあるまじく候。」右体の事申す衆に一言申すも事々しき老人など申され候が、脇より心ある人聞き候はゞ、同意のやう存ずべく候へば、障らぬやうに一言申すべきは、「左様にてもとれなく候。今時分の者、無気力に候は無事ゆゑにて候。何事ぞ出来候はゞ、ちと骨々となり申すべく候。よく/\替り候ても昔は昔にて候。今時の人は、世間おしなべて落ち下り候へば、劣り申すべき謂はれとれなく候。」などと、一座を見量り申すべき事に候。誠に一言が大事の物となり。
書き下し
今時(いまどき)の衆、「陣立(じんだて)などとれなく候(そうろ)うて仕合(しあわ)せ。」と申され候。無嗜(ぶたしなみ)の申分(もうしぶん)にて候。かねがね一生の内、その手に会ひたき事に候。寝蓙(ねござ)の上にて息を引切(ひきき)り候は、まづ苦痛(くつう)堪(た)へがたく、武士の本意(ほい)にあらず。古人(こじん)は別して歎(なげ)き申したる由に候。討死(うちじに)ほど死によき事はあるまじく候。右体(みぎてい)の事申す衆に一言申すも事々(ことごと)しき老人など申され候が、脇(わき)より心ある人聞き候はば、同意のやう存ずべく候へば、障(さわ)らぬやうに一言申すべきは、「左様(さよう)にてもとれなく候。今時分の者、無気力に候は無事(ぶじ)ゆゑにて候。何事ぞ出来(しゅったい)候はば、ちと骨々(ほねぼね)となり申すべく候。よくよく替り候ても昔は昔にて候。今時の人は、世間おしなべて落ち下(さが)り候へば、劣り申すべき謂(いわ)れとれなく候。」などと、一座を見量(みはか)り申すべき事に候。誠に一言が大事の物となり。
現代語訳
近ごろの若い者は、「戦の陣立てなどに出くわさずにすんで幸せだ」と言う。これは武士の心得のない言い分である。武士たる者は、一生のうちに一度はその戦場に臨みたいものだ。寝床の上で息を引き取るのは、まず苦痛に堪えがたく、武士の本意ではない。昔の人はことさらにそれを嘆いたという。討死ほどよい死に方はあるまい。——こうした物言いをする者に一言添えるのも大げさだと老人が言うが、そばで心ある人が聞いていれば同感するだろうから、角の立たないように一言こう言うのがよい。「そうとばかりも言えぬ。近ごろの者に気力がないのは、太平無事のせいだ。ひとたび事が起きれば、少しは気骨も出てこよう。世がいくら移り変わっても、昔は昔で立派なものだ。今の人は世間全体が落ちぶれているのだから、ことさら劣っているというわけでもない」——などと、その場をよく見計らって言うべきである。まことに一言が大事なものになるのだ。
解説
この章句が説くこと
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