葉隠 / 聞書第二
段々心得打替り申し候。不圖氣に乘り、打替り候事ども御座候。時々心相改まり、若年より此の方、百度や二百度と申す事はあるまじく候。さて〜内がよきなり、仕届け候へば早や違ひ候。何卒仕届け度く候へ。一生と存じ候へ。」となり。
新字:段々心得打替り申し候。不図気に乗り、打替り候事ども御座候。時々心相改まり、若年より此の方、百度や二百度と申す事はあるまじく候。さて〜内がよきなり、仕届け候へば早や違ひ候。何卒仕届け度く候へ。一生と存じ候へ。」となり。
書き下し
段々心得打替(うちかわ)り申し候。不図(ふと)気に乗り、打替り候事ども御座候。時々心相改(あいあらた)まり、若年よりこの方(かた)、百度や二百度と申す事はあるまじく候。さて、内(うち)がよきなり、仕届(しとど)け候えば早や違い候。何卒(なにとぞ)仕届け度(た)く候え。一生と存じ候え。」となり。
現代語訳
だんだんと心得が入れ替わっていくものだ。ふと気が乗って、考えが改まることもある。時々心が改まり、若い頃から今まで、その回数は百度二百度どころではないだろう。さて、(奉公は「何とか仕遂げたい」と願っている)その途中がよいのだ。仕遂げてしまえば、もう違ってくる。何とか仕遂げたいと思い続けよ。一生かけての仕事だと思え、ということだ。
解説
奉公(務め)に対する心構えを説いた一条です。人の心得は時とともに何度も入れ替わる。そのうえで常朝は、「仕遂げたい」と願い続けている途中の状態こそがよい、と言います。目標を達成してしまえば張りが失われ、心はもう別のものになってしまう。だからこそ「一生かけての仕事だ」と思い、常に道半ばの志を持ち続けよ、と説くのです。完成や到達をゴールとせず、向上し続ける過程そのものに価値を置く考え方は、現代の仕事や自己成長にも通じます。満足しきらず、生涯かけて磨き続ける姿勢の尊さを教える言葉です。
この章句が説くこと
葉隠奉公向上心過程一生の仕事志
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