葉隠 / 聞書第二
或方にて話半ば、出座見舞あり。上座にて候が、即ち末座に下り、一通りの禮儀あり。其の後は常の通りなり。豫て教訓の禮儀の所なり。
新字:或方にて話半ば、出座見舞あり。上座にて候が、即ち末座に下り、一通りの礼儀あり。其の後は常の通りなり。予て教訓の礼儀の所なり。
書き下し
或る方にて話半ば、出座(しゅつざ)見舞(みまい)あり。上座(かみざ)にて候が、即ち末座(まつざ)に下り、一通りの礼儀あり。其の後は常の通りなり。予(かね)て教訓の礼儀の所なり。
現代語訳
ある方の所で話の最中に、新たに来客があって席に加わった。その人は本来上座に座るべき身分であったが、すぐに末座に下って、ひととおりの挨拶の礼儀を尽くした。その後は普通に振る舞った。これは日頃の心得を示す、礼儀のあり方を教える場面である。
解説
礼儀の心得を、具体的な一場面で示した短い一条です。話の途中に加わった来客が、本来なら上座に座る身分でありながら、まず末座に下って挨拶の礼を尽くし、それから普段どおりに振る舞った、というエピソードです。地位が高いからと最初から上座に構えるのではなく、まず身を低くして礼を通す。その謙虚さと折り目正しさこそが、日頃から身についた本物の礼儀だと示しています。原文に欠字()があり細部は不明ですが、地位に驕らず謙譲を先に立てる態度は、現代のビジネスマナーや人間関係にも通じる、さりげなくも大切な作法と言えます。
この章句が説くこと
葉隠礼儀謙譲末座身を低くする作法
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