葉隠 / 聞書第二
神は穢を御嫌ひなされ候由に候へども、一分の見立てにこれありて、日拜忘り申さず候。その仔細は、軍中にて血を切りかぶり、死人乘越えゝ働き候時分、運を祈りならば詮なき事と、しかと存じ極め、穢の構ひなく拜仕り候由。
新字:神は穢を御嫌ひなされ候由に候へども、一分の見立てにこれありて、日拝忘り申さず候。その仔細は、軍中にて血を切りかぶり、死人乗越えゝ働き候時分、運を祈りならば詮なき事と、しかと存じ極め、穢の構ひなく拝仕り候由。
書き下し
神は穢(けがれ)を御嫌いなされ候由(そうろうよし)に候えども、一分(いちぶん)の見立てにこれありて、日拝(にっぱい)忘り申さず候。その仔細(しさい)は、軍中(ぐんちゅう)にて血を切りかぶり、死人乗越え乗越え働き候時分(じぶん)、運を祈りならば詮(せん)なき事と、しかと存じ極め、穢の構いなく拝仕(おがみつかまつ)り候由。
現代語訳
神は穢れをお嫌いになるというが、自分なりの考えがあって、日々の神拝を欠かさないでいる。その理由はこうだ。戦場で血を浴び、死人を乗り越え乗り越え働くようなときに運を祈ろうとしても、そのときになって拝んでは間に合わない。ならば穢れがどうこうと構わず、平生から拝んでおくのだ、としかと心を定めているからだ、というのである。
解説
神は穢れを嫌うとされるが、戦場で血にまみれて働く身がいざというとき運を祈ろうとしても遅い、だから平生から穢れを気にせず神拝を欠かさない、という覚悟の一条です。形式的な清浄の作法よりも、日頃の実践と心の一貫性を重んじる姿勢が語られています。土壇場になって慌てても間に合わない、支えとなる習慣は平時に築いておくべきだ、という実践知です。神仏への信心を、非常時の保険ではなく日々の在り方の問題として捉え直している点に特徴があります。現代でも、大事の前に付け焼き刃で備えても遅く、日頃の積み重ねこそが力になる、という教訓として読めます。なお戦場での殺伐とした働きを前提とする点は、時代背景によるものです。
この章句が説くこと
葉隠神拝穢れ覚悟日々の実践信心
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